才谷屋

竜馬がゆく

竜馬は、脱藩の準備をはじめた。
脱藩には、金がいる。
刀も、業物が欲しい。脱藩すれば、藩の庇護から離れ、天涯の孤客になる。身を守るのは腰間の一刀のみである。

(どうするか)
ふらりと、竜馬は才谷屋をたずねた。
〜〜〜
「刀蔵の中を見たいのさ」
「竜さん、あんた」
お市おばは、こわい顔でいった。
「この才谷屋の家憲で、灯をともして蔵に入ってはならぬという禁制があるのをよもや知らぬわけでもあるまい。蔵は朝の日が差すだけだから、あしたの朝にでも出なおしておいで」
(竜馬がゆく2 P405)

才谷屋

坂本家の本家である才谷屋は,寛文6(1666)年に長岡郡才谷村からこの地に移り住んで質屋をはじめ,商いを拡大していき、一時は城下でも屈指の豪商にまで成長しました。才谷屋跡の正確な場所は分かっておらず、上町地区一帯であったことが推測されています。(高知市HP/2020 より)

2018.9.17放送の テレビ東京「昼めし旅~あなたのご飯見せてください~」内で、「才谷屋の子孫なんです」と名乗る方が登場。
「ひいおばあちゃんが、龍馬が脱藩する晩に会った」と貴重なエピソードを話して「才谷屋の隣が龍馬の家で、預けてあった刀を取りに来た龍馬に『遅いから明日出直して』と言ったその晩に脱藩した。ひいおばあちゃんは亡くなるまで『あのとき刀を渡してやればよかった』と言い続けていた」と放送されていました。

2018.9.17放送 テレビ東京 昼めし旅

龍馬と縁のある酒・司牡丹

酒造りも手がけていた才谷屋から酒の醸造の権利を引き継いだ酒蔵が作り続けているのが現在の「司牡丹酒造」です。坂本家とも縁があり、龍馬も飲んでいたと言われています。(BSフジ・この歴史おいくら 2022.0101)

司牡丹酒造、竹村家の屋号は「黒金屋」と言い、「才谷屋文書」によると 、才谷屋と佐川の酒屋との間には頻繁な交流があったことが記されており、 天保2年(1831年)、黒金屋弥三右衛門が才谷屋助十郎から酒林壱軒(酒造りの株一軒分 )を買っ たという書状が残っています。
また、黒金屋弥三右衛門の母親は才谷屋から嫁いでおり、 一方、才谷屋八郎兵衛の母親は家系図によると「竹村氏の女」(黒金屋竹村家との血縁は不明)となっています 。

司牡丹webサイトより