竜馬がゆく下関についた 白石正一郎 下関には、藩主毛利公から名字帯刀を許された豪商で、白石正一郎というふしぎな人物がいる。ふしぎな、というのは、商人のくせにこの時代、めずらしく尊皇攘夷の志士で、長州藩の過激派を始め、諸藩脱藩浪士をかくまったり、泊めたり、資金を与えたりして、影... 1862.04.01竜馬がゆく豪商・商人
土佐藩東洋暗殺 東洋、亥の刻(夜十時)、お城を退出。「いや、酔った」と、御殿の玄関で若党がさしだす傘をうけとり、ぱらりとひらいた。石段をおりるとき、東洋の身を守るようにして、数人の若い武士が前後した。きょうの進講の陪席者たちであった。後藤象二郎、市原八郎左... 1862.04.08土佐藩
長州藩高杉晋作・上海へ 上海留学へ 長州藩内では、長井雅楽の「航海遠略策」が藩論として採用されており、公武合体派の勢いが優っていました。高杉晋作は、桂小五郎に長井雅楽暗殺計画を持ちかけるほど不満が溜まります。安易な暗殺で優秀な高杉を失いたくなかった桂は、海外留学を... 1862.04.29長州藩
竜馬がゆく寺田屋騒動3 咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る薩摩の殿様島津久光への恨みと皮肉をこめた唄である。咲いた桜、とは、有馬新七以下の暴発組の連中のことだ。かれらは、志に花を咲かせてこの寺田屋に屯集した。そこへ、久光は、奈良原喜八郎らの慰留団(実... 1862.04.25竜馬がゆく薩摩藩
竜馬がゆく寺田屋騒動2 竜馬がこの異変の宿「寺田屋」をたずねたのは、その翌日である。 寺田屋の台所は三十畳ほどの板の間で、年代が磨き上げた黒檀のような光沢がある。その板の間に白い足袋を映しながら歩いていた女将のお登勢が、ふとのれんをあげて、「まあ、坂本さま」と、奥... 1862.04.24竜馬がゆく薩摩藩
竜馬がゆく寺田屋騒動 その「暴動計画」に加わったのは薩摩藩でもほんの二、三十人であった。薩摩藩は本来、長州藩とは違い、藩公を中心とした徹底的な組織第一主義の国家である。かれらを「不逞(ふてい)」とみた。不幸はここからおこった。(竜馬がゆく3 P60) 京都錦小路... 1862.04.23竜馬がゆく薩摩藩