芹沢鴨 粛清

「帰った?あの壬生浪」
と、お登勢が入ってきた。

みぶろというのは、新撰組結成の初期、京の市中のひとがきらってつけた異名である。洛西壬生村に屯所をもつ壬生浪人、というところから出たものであろう。

竜馬がゆく4 P115

芹沢鴨

水戸藩に生まれた芹沢鴨は、尊王攘夷思想の影響を大きく受けた水戸学を学びます。徳川家茂の京に向かう護衛に参加しましたが、清川八郎の寝返りに反発して、近藤勇らと浪士組を結成して局長となります。
活動資金を集めるために大坂の商人・大和屋庄兵衛宅に押し掛け火を放った事件など、悪行が過ぎるようになります。
京都の治安を見る新撰組が治安を乱していることに危険を感じた京都守護職・松平容保。指示を受けた受けた土方歳三が沖田総司ら腕の立つ者を集めて壬生の屯所で休んでいた芹沢鴨を暗殺したと言われています。

組織の規律が締まったきっかけになりましたが、新撰組内の規律違反や裏切り行為には一段と厳しくなります。

芹沢鴨の鉄扇

「尽忠報国」と刻まれた鉄線を持ち歩いていた芹沢鴨。「忠義を尽くして国の恩に報いる」まさに尊王攘夷の思想を書いた鉄扇を持ち歩いていました。

鉄扇は、上司の家に上がる場合や帯刀が許されない場所に入る時に護身用に携帯した扇子です。
当時の鉄扇は、主として中の扇子部分のない鉄だけでできたものを使っていたようです。刀を持たなくなった明治時代からは中に扇子部分がついた鉄扇が広がりました。
当時の鉄は大変貴重なもので、鉄の製造は「たたら製鉄」という方法で抽出し、加工は鍛冶職人が手で鉄を打ち鍛え完全手作業で作ります。
高価な鉄扇を携帯できたのは中・上流階級の武士ということになり、下級武士は鉄扇を持つ余裕はなかったはずです。

扇八郎さん https://senpachiro.com

酒に酔っていなければ

芹沢鴨といえば「酒と女」という代名詞をつけられているぐらい、酒癖は悪かったようです。
芹沢は酒が入ると、暴れたり脅して金を出させたりと手がつけられなくなります。しかも酒が入っていないことがないという程、朝からよく飲んでいたのです。
一方の女性の方は、呉服商、菱屋太兵衛の妾(めかけ)・お梅を愛人として通わせていました。傲慢なイメージが強いために、手篭めにされた。とありますが、お梅みずから、芹沢のところに通っていました。
芹沢鴨が酒を飲んでいないときには、世話になっている八木邸の子供たちに面白い絵を描いてみせたり、人を惹きつける才能を持っている人柄に惹かれたともいわれています。(出典確認中)

芹沢の最期はとても呆気なく終わってしまいます。
新選組が開いた宴会でたくさんの酒を飲みすぎ、屯所である八木邸で寝ているところを襲撃にあいます。
その横にはお梅さんもおり、彼女もまた暗殺されてしまうのです。
隊士であった永倉新八は、芹沢の死を「大きな損失」と考えたほど、ただただ傲慢なだけではない人物であったと言われます。