坂本伊與

正月三日は家で過ごし、その後は、知人の家を訪ね歩いた。
友人とは入っても、一番気が合う武市半平太は江戸に戻っていたので、あとはそれほど気の合うものはいなかった。

竜馬がゆく 1巻

坂本伊與

文化元年(1804年) – 慶応元年10月21日(1865年12月8日)
土佐藩御用人・北代平助の娘で、薙刀の腕前は名人級だったと言われています。
坂本直足(八平)の後妻として坂本家に嫁ぐ前に、二度の結婚歴がありいずれも死別。
美女だったと伝えられています。

先の嫁ぎ先「川島家」と坂本家が付き合いがあり、夫を亡くした伊與を、妻を亡くしていた八平に嫁がせることになりました。

伊予の教育方針
1、相手にやられたらやり返せ
2、自分から進んで手を出したらいかん
3、男は強くて優しくないといかん

TV この歴史おいくら 2022年1月

子供の頃から世界地図を見ていた龍馬

元々この川島家は、藩政時代には「下田屋」という屋号の御用商人として木材などを扱う大そう大きな廻船問屋でした。
川島家の当主・伊三郎は”ヨーロッパ”という通り名もあった位の外国通。坂本家とこの川島家とは以前から付き合いのあった関係で、龍馬も子供時分から乙女姉さんと鏡川から船で、川島家に遊びに来でいました。
龍馬は、遊びに来ては、珍しい外国の話を聞いたり、世界地図などを観るのを楽しみにしていたと伝えられています。