女正月_お田鶴さま

幕末の女性

安政二年正月十五日
この日は女正月なのである。城下の女どもが誰も彼も着飾って一日遊び暮らす。
その日午後、突然、家老福岡家のお田鶴さまが現れて坂本家は家じゅう大騒ぎになった。
竜馬の部屋で、お田鶴さまは江戸での様々なことを聞いた。お田鶴さまに引き出されるままに喋っていると、竜馬は、自分でも今まで考えていなかった考えが次々に湧いてきた。(利口な人だ)
「お田鶴さまは、今の日本では滅んでしまうと思います。何をすれば良い、と思いですか」
「難しい議論より大砲と軍艦をたくさん造れば後は自然に道が拓けてくると思います。ただその軍艦を腰のない役人にもたせてもどうでしょう。今の幕府では日本を持ちきれませぬ。坂本様、皆さんで倒しておしまいになれば?」
お田鶴さまは言うに事欠き「幕府を倒せ」と言う。

「はい、これ」いつの間に作ったのか、折り紙細工である。

竜馬がゆく より
お田鶴
お田鶴

「はい、これ」

女正月

正月15日は女正月

小正月と呼ばれる1月15日、または14日から16日の3日間を女正月と呼びました。
江戸時代の大陰暦の考えで、この年最初の満月の日である「望の日」(15日)の別名を女正月(おんなしょうがつ・めしょうがつ)と言います。

この時期の女性たちは、暮れは大掃除やおせち料理作り、年始は親戚や年賀客の接待で、年末年始はとても多忙でした。それらが一段落して、ようやくひと息つけたのが、松の内が終わる小正月の日。家事から解放されて、実家に帰省したり、年始の挨拶に親戚に出向いたり、寺社に参詣したり、着飾って芝居見物に出かけたり、女性同士で酒宴をひらいたりして、骨休みをする日となります。

正月元旦は男正月?

1月1日~7日の期間を「松の内」と呼びますが、別名で「大正月(おおしょうがつ)」や、「男正月(おとこしょうがつ)」と呼ばれることがあります。

この期間・全国各地で次のような正月(1月1日)のしきたりもありました。

 ●正月三が日、餅を焼いたり若水(わかみず)を汲んだりするのは男性だけ
 ●男性が元旦に煮炊きする
 ●正月の雑煮は必ず男性が作る

しかし、その下準備は女性が担っていました。

女正月(小正月)の風習

正月飾りを燃やす

正月飾りとして使ったしめ縄や新年の書き初めなどを燃やし無病息災を祈ります。「左義長(さぎちょう)」ともいわれます。左義長の呼び名は、「三毬杖(さぎちょう)」という青竹を立てて燃やすことから付いた呼び名で、燃やしたときの煙が高く上がるほどご利益があるといわれています(悪霊はらいになるとも)。地域によって「どんど焼き」や「どんと焼き」「とんど」など、別の名前で呼ばれることがあります。

小豆粥で無病息災と五穀豊穣を祈る

日本では、昔から小正月の朝に小豆を入れたお粥を炊いて食べますが、これは、小豆の赤い色が邪気をはらってくれるという考え方に由来。小豆粥にお餅を入れて「望粥(もちがゆ)」として食べる地域もあります。

おかゆの吉凶占い

おかゆを炊いて1年の吉凶を占う粥占(かゆうら・かいうら・よねうら)が、神社の祭礼として行われる地方も。炊き上がったお粥を棒でかき混ぜ、その棒に付いてきた米の数で占うもの、青竹を12本使い各月の吉凶を占うものの他に、竹筒に小豆と米を入れて炊き上げたときの小豆の数で占う。

最初の満月の日 正月十五日

旧暦では立春の後の最初の満月を正月としていたのだそうです。それがやがて1月1日が大正月、1月15日が小正月となりました。
小正月に元服を行う習慣をもとに「成人の日」を1月15日にしていました。

農耕文化の日本において、新年最初の満月の15日が一年の境目という考えがありました。14日が終わる日でこの日に大掃除をして小正月15日を迎える風習があり、大正月の正月元旦よりも重視されていました。

十五日あづき粥いわふ。
十六日えんま参り。

江戸年中行事 より

「竜馬がゆく」のお田鶴さま

竜馬がゆくで登場するお田鶴様は創作の人物。
司馬遼太郎作品の「龍馬伝」と「竜馬がゆく」の違いは、お田鶴さまなど架空の登場人物があることとも言われています。

「竜馬がゆく」作品中のお田鶴さまは、土佐藩家老福岡家の娘。坂本家は福岡家預り郷士となります。
のちに三条実美に仕える事になりますが身分の差を越えて竜馬を愛します。

お田鶴様の元となったのは、平井加尾だとされています。
坂本龍馬の幼馴染で、和歌や文筆をたしなみ、龍馬の姉・乙女とは琴を習う稽古仲間で、坂本家とは家族ぐるみの付き合いがあった。兄の収二郎は、土佐勤王党員。
山内容堂の妹が京・三条家に嫁いだのち未亡人となったおりに侍女として上京。京では土佐出身の志士の援助もしていました。
明治維新後には、土佐勤王党員の西山直次郎と結婚しています。