渋沢栄一

徳川幕府

「近代日本経済の父」渋沢栄一

渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の豪農の家に生まれます。父の市郎右衛門からは、跡継ぎとして幼い頃から家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝い、商売に必要な学問の手ほどきも受けます。7歳頃からは、隣村に住む従兄の尾高惇忠のもとへ通い、当時の知識人が必須とした「論語」など四書五経を幼いうちに学びました。

文久3(1863)年23歳になった栄一は、幕府の階級制度や一連の外交施策に不満を募らせた仲間の尊王攘夷思想の影響を受け、高崎城乗っ取り・横浜外国人商館焼き討ちを企てます(計画は直前で断念)

幕府に逆らった事が知れて、追手を避けるために故郷を出た栄一は、当代将軍・徳川家茂と系統の違う一橋家に仕える機会に恵まれます。
幼い頃から鍛えた商才を発揮して、一橋家の財政の改善などに手腕を発揮し、次第にその力を認められていきました。

慶応2(1866)年23歳の時に、仕えていた一橋家・慶喜が15代将軍に推挙されます。尊皇攘夷で争っていた栄一が幕府側の人間・幕臣に引き立てられることになります。

ちょうどその頃、パリで開催する万博に日本が初めて参加することになり、渋沢栄一が財務担当として随行する話が舞い込みました。
徳川慶喜の14歳の弟・昭武を団長にした欧州視察の随行員に抜擢されて渡欧すると、パリ万博の儀式に参加をすませ、スイス・オランダ・ベルギー・イタリア・イギリスを訪問。当時の先進的な技術や産業を見聞し、近代的な社会制度を知った事が、その後の栄一の人生に大きな影響を与えました。
しかし、このヨーロッパの期間中に徳川慶喜は大政奉還を行いました。幕府からの旅費が途絶えてしまいましたが、万一に備えるのと勉強のため買っていた「フランス国債」「鉄道株」を運用して、使節団全員の旅費をまかなうことができました。

欧州から帰国した栄一は、明治政府に招かれ、新しい国づくりに関わりました。近代化商業に必要な銀行のしくみを作ろうとしましたが、政府内の薩長藩らの力関係に辟易して、明治6(1873)年に官僚を辞めます。
民間人となった栄一は、国政で果たせなかった銀行を興し、第一国立銀行の総監役(のちに頭取)となって、経済による近代的な国づくりを目指します。

第一国立銀行を拠点に企業の創設・育成に力を入れて生涯に約500もの企業に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力しました。

渋沢栄一と武術

渋沢栄一と坂本龍馬は、北辰一刀流・千葉道場系の兄弟弟子だった!

ペリー襲来以来、武士の間で開国や攘夷論を皆が論じるようになった頃、農業や商売をする渋沢栄一の周りでも議論が出るようになっていました。
「武士だけにまかせずに、若者は武術も学ぶべきだ」という考えで、2歳年上のいとこ尾高長七郎の誘いで江戸に武術・学問の留学に出ることにしました。
文久元年(1861年)に江戸に出てた栄一は、北辰一刀流の千葉栄次郎の道場に入門(千葉周作の一派)。竹刀や防具を着けての練習方法を取り入れていた北辰一刀流は、他方では10年かかる修行が5年で身につくと言われていて、渋沢栄一の考えにぴったりでした。
北辰一刀流に入門したことで、渋沢栄一は坂本龍馬の同門となりました。
しかし当時の坂本龍馬は土佐に帰った頃で、土佐の井口村刃傷事件(永福寺事件)から武市半平太が土佐勤王党を立ち上げている最中で、その後脱藩をして江戸に向かいます。

江戸に出でて儒者海保漁村の門に遊び、又剣客千葉栄次郎の道場に出入す。居ること二ヶ月余にして帰る。

渋沢栄一『伝記資料』1巻

江戸留学の間、尊皇攘夷派が多くいた千葉道場のつながりで尊皇攘夷思想に目覚めた渋沢は、文久三年(1863年)に高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜を焼き討ちにしたのち長州と連携して幕府を倒すという計画をたてるまで攘夷派に染まりました(未遂)。

明けの大黒

「勝負ごとが好き。それも、いつもねばり勝ちである。徹夜して、みんながくたびれ、頭がもうろうとした夜明けごろになって力を発揮し、にこにこしながら、まき上げる。『明けの大黒』といわれたゆえんである。
 若い頃は、1週間ぶっ続けで花札もやった。幕末、最初に洋行するときに着た中古の燕尾服(えんびふく)は、賭碁(かけご)で手に入れたものであった」

『雄気堂々 上』城山三郎[著]新潮社
一農夫が≪日本資本主義の父≫になるまで――。 巨匠城山三郎が描く渾身の名作

渋沢の作った会社・組織

明治維新の日本が近代国家なるために必要なのは「官」という政治ではなく、国民がやる気を起こして経済を盛り上げる「民間企業の発展」こそが近代国家への道筋だと考えた栄一は、明治政府役人を早々に辞めて、次々と会社を興していきました。

第一国立銀行をはじめ、東京瓦斯、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現:東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれています。

設立現在思惑
第一国立銀行みずほ銀行通貨を発行するだけでなく「預金」「金利」というルールを取り入れて、国民に「お金を預ける」メリットがある会社を設立
抄紙会社王子製紙紙幣の発行や、書物の作製、新聞発行などに大量の洋紙(和紙ではない)が必要になるので、大量の水が確保できる王子村に設立
商工会議所設立した会社同士それぞれの経営者を繋ぐ組織を設立