紙幣

徳川幕府

渋沢栄一

「近代日本経済の父」渋沢栄一 渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の豪農の家に生まれます。父の市郎右衛門からは、跡継ぎとして幼い頃から家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝い、商売に必要な学問の手ほ...
文化人教養人

北里柴三郎

竜馬の指の傷は、翌々日になってやっと血が止まった。「指の傷ともいえんな」と、竜馬はつきっきりの看病をしているおりょうにいった。「体が雲に乗っているようだ」極度の貧血状態にあり、頭がうずき、ときどき心臓の鼓動までおかしい。西郷がよこした外科医...
幕末の女性

津田梅子

(不幸だな)と、竜馬はおもった。乙女の鬱屈が、であった。それほどの自分をかかえて、いささかもその自分を行動で表現することなく、実家の奥の一室でむなしく歳月を消費しつづけてゆかねばならないのはよほどつらいことにちがいない。 竜馬が行く8  p...
土佐藩

乾退助

少年のころ、城下では喧嘩退助といわれた若者だ。高知中島町に屋敷を持つ三百石の上士の子で、早くから「上士の子であれほど乱暴なやつはいない」といわれた。例の暗殺された吉田東洋が参政になったとき若くして免奉行になり、さらに東洋の死後は、江戸に出て...
長州藩

伊藤博文

伊藤博文 井上は上士階級の出身だが、伊藤俊輔は下士階級でさえない。百姓の出で、年少のころに侍屋敷の走りづかいなどし、たまたま隣家の子弟だった吉田稔麿(池田屋の変で闘死)がこの男を愛し、故吉田松陰のもとにつれて行った。「俊輔、周旋の才あり」と...
文化人教養人

幕末の武士道 猫久

お田鶴さまがいうには、要するに竜馬がはがゆいのである。長州藩の攘夷さきがけとともに、天下はいよいよ騒然としてきた。そのなかにあって竜馬はいったい何をしているのか。「まあ、お田鶴さま、ながい眼でみてくだされ。天下の有志が、京に集まって騒いでい...