土佐藩

鬼山田 井口村刃傷事件1

その日は、三月四日。雛の節句である。土佐藩では、この日、上士が総登城して、殿様から御酒をいただく慣習がある。その夜。午後8時頃であったらしい。城下がひっくり返るような刃傷事件がおこった。上士に、「鬼山田」といわれた一刀流の刺客がある。名は、...
土佐藩

武市半平太 投獄

武市瑞山(半平太)獄中自画像アレンジ 「武市半平太」とあらためて声をかけ声をかけ、藩命を読み上げた。「右の者、京都に対し奉りそのままにしておきたがし。その余、ご不審のかどこれあり。 追って、あがりや(士分の牢)入りおおせつけられ候事」武市は...
土佐藩

勤王党切腹一号

竜馬は、間崎、平井、弘瀬の切腹の報をうけたとき、ーこれぁ、武市の勤王党は瓦解するな。と直覚した。「たれかしっちょる者はおらんかぁ。国もとで間崎らが切腹したそうじゃのうぉ。教えてくれんかねぇ」「中島作太郎と申します。国許での間崎先生らの一件、...
朝廷・宮家

維新のさきがけ 天誅組とは

大事件が待っていた。ひとつは国もとでは武市半平太が投獄されたこと、もうひとつは、大和平野で挙兵した吉村寅太郎らが諸藩の兵に包囲され、奮戦のすえ、そのほとんどが闘死したことである。竜馬はこの報を神戸村の海軍塾できくや、「やったかぁ」と、刀をか...
江戸落語の世界(芸能・娯楽)

ペリー再来_百川

去年にやってきたアメリカのペリー総督が、正月の十四日、ふたたび艦隊をひきいて再来し、さきに幕府に呈上した通商開港に関する国書の返答をきびしく要求しはじめたため、諸藩の沿岸警備隊は再び臨戦状態に入り、竜馬も黒船が去るまでのあいだ、築地の藩邸に...
江戸時代の常識・風習

旦那は人が斬れますかね

嘉永六年八月二十一日 八月も暮れようとしたある日、鍛治橋の藩邸に、思いもかめぬ人物が訪ねてきた。盗賊、寝待の藤兵衛である。竜馬が、「こいつぁ懐かしい」と招き入れると「旦那、頼みがあるんだ。藪から棒にこう言うのも何だが、旦那は人が斬れますかね...