長州藩

江戸落語の世界(芸能・娯楽)

枡屋喜右衛門と京都気質

ふと河原町の往来で会った顔見知りの町人が「枡屋はん、ちかごろ繁昌どすなぁ、よろしおすな」となにげなくいった。町人姿の俊太郎は、ぎょっとした。「いえいえ左様なことはござりませぬ。まだ祇園会の前で、夏枯れは早いはずでございますに、商いはすっかり...
徳川幕府

吉田稔麿

稔麿は、元結を結び始めた。が、ふしぎと三度結び、三度とも切れて四度めにやっと結べた。(おかしいな)と、乃美老人はだまってみている。「今宵、池田屋へ行くのをやめたらどうだ。元結が三度も切れるとは、不吉ではないか」「行きます」竜馬がゆく5 P8...
土佐藩

謀者竜馬の帰還

嘉永七年三月二十五日 品川藩邸 竜馬は、土佐藩の品川陣地に戻って、桂小五郎からきいた長州陣地の模様を詳しく報告した。 しかし家老の山田八右衛門は、 「ああ、そうか」といったきりである。 二百数十年も、藩の貴族階級の位置に座り続けると、ついに...
長州藩

高杉晋作・上海へ

上海留学へ 長州藩内では、長井雅楽の「航海遠略策」が藩論として採用されており、公武合体派の勢いが優っていました。高杉晋作は、桂小五郎に長井雅楽暗殺計画を持ちかけるほど不満が溜まります。安易な暗殺で優秀な高杉を失いたくなかった桂は、海外留学を...
長州藩

久坂玄瑞 訪問

文久2年正月十四日、荻の久坂玄瑞訪問 竜馬は、萩に入ると、まっすぐに久坂玄瑞の屋敷を訪ねた。「本の近所に参っております。いま呼びにやりましたから」と、細面の婦人はいった。(この人が、吉田松陰の妹か) 「坂本さん」挨拶もそこそこに、「だめです...
長州藩

わしぁ謀者よ

嘉永七年三月二十三日 一泊し翌朝、一行は長州本営をあとにした。 竜馬は途中で一行と別れ、山越えで横須賀に出ようとした。峠にさしかかった。三月にしてはめずらしく空が青い。 竜馬は、ふと足を止めた。武士がいる。 樹の根に、編笠をかぶって一人腰を...