長州藩伊藤博文 伊藤博文 井上は上士階級の出身だが、伊藤俊輔は下士階級でさえない。百姓の出で、年少のころに侍屋敷の走りづかいなどし、たまたま隣家の子弟だった吉田稔麿(池田屋の変で闘死)がこの男を愛し、故吉田松陰のもとにつれて行った。「俊輔、周旋の才あり」と... 1865.06.24長州藩
朝廷・宮家維新のさきがけ 天誅組とは 大事件が待っていた。ひとつは国もとでは武市半平太が投獄されたこと、もうひとつは、大和平野で挙兵した吉村寅太郎らが諸藩の兵に包囲され、奮戦のすえ、そのほとんどが闘死したことである。竜馬はこの報を神戸村の海軍塾できくや、「やったかぁ」と、刀をか... 1863.08.17朝廷・宮家長州藩
諸外国英国公使館焼き討ち 江戸桜田の長州藩邸にいる同藩の過激有志の旗がしら高杉晋作が、「薩摩藩が、生麦で夷人を斬って天下の攘夷のさきがけをした。長州藩たるものがそれに負けていてはならぬ」と、同志に説いた。高杉のいうところでは薩摩藩に勝つにはもっと大きなことをやらなけ... 1862.12.12諸外国長州藩
竜馬がゆく薩長同盟 竜馬はだまっている。やがて火鉢のふちをつかみ、「委細は桂君から聞きました」と、迫るようにいった。「ほう」「西郷君、もうよいかげんに体面あそびはやめなさい。いや、よい。話はざっときいた。桂の話をききながら、わしはなみだが出てどうにもならなんだ... 1866.01.21竜馬がゆく薩摩藩長州藩
長州藩高杉晋作 奇兵隊を結成 長州の沿岸砲台は、外国軍艦との交戦で完敗した。砲兵だけでなく、長州海軍も二隻の軍艦を失って、完敗した。さらに長州藩を極度に緊張させたのは、六月五日、フランス艦隊と戦って敗北した陸軍の敗報である。これは藩庁を狼狽させた。「陸軍ならば」と思って... 1863.06.06長州藩
長州藩たちあい 「じつは、宮田村にある長州陣屋から使いが参り、滞陣中の士気を鼓舞するため、剣術試合を催したい。と申してきている。土州10人、長州10人を選り抜いて試合をさせる。当然、竜馬がゆく。その時、試合も肝心じゃが、長州陣地をみてこい、というのじゃ。陣... 1854.03.22長州藩