長州藩

竜馬がゆく

第二次長州征伐

「坂本さんに、わが藩の半分をまかせるゆえ、幕府海軍を制圧してもらえんだろうか。あとの半分はわしがひきいる」と、高杉はいった。作戦と部署が決まった。長州海軍には四隻の軍艦がある。これを二つに分けて第一艦隊と第二艦隊とし、第一を高杉が担当し、第...
竜馬がゆく

薩長同盟

竜馬はだまっている。やがて火鉢のふちをつかみ、「委細は桂君から聞きました」と、迫るようにいった。「ほう」「西郷君、もうよいかげんに体面あそびはやめなさい。いや、よい。話はざっときいた。桂の話をききながら、わしはなみだが出てどうにもならなんだ...
諸外国

グラバー商会

翌日、軍艦買いつけに出かけた。「どこで買うのであります?」と、俊輔は饅頭屋に聞いた。饅頭屋は得意そうに、「大浦海岸でござるよ」大浦海岸には、欧米の貿易商人の商館がずらりとならんでいる。「英国人で、グラバーという者です。大浦海岸最大の商館で、...
長州藩

伊藤博文

伊藤博文 井上は上士階級の出身だが、伊藤俊輔は下士階級でさえない。百姓の出で、年少のころに侍屋敷の走りづかいなどし、たまたま隣家の子弟だった吉田稔麿(池田屋の変で闘死)がこの男を愛し、故吉田松陰のもとにつれて行った。「俊輔、周旋の才あり」と...
幕末の女性

馬関戦争

のちに明治陸軍の創設者の一人になった山縣有朋、当時まだ若かった足軽上がりの山形狂介が、壇ノ浦砲台の隊長になり、眼前に展開する西洋艦隊を見ながら、酒樽十丁のカガミをポンポンと抜き、「さあ、何はなくとも眼下に並んだ夷艦十八隻、あれを肴にぞんぶん...
徳川幕府

蛤御門の変

奇襲であった。幕府は誤算した。長州藩の行動開始は十九日と見、その日を期し、戦備を整えた。その数、五万である。帝都の内外にこれだけの戦闘員があつまったのは、室町末期の応仁の乱いらいのことであった。幕府はさらに誤算した。この作戦は、やがては十五...