薩摩藩

竜馬がゆく

寺田屋騒動3

咲いた桜に なぜ駒つなぐ  駒が勇めば 花が散る薩摩の殿様島津久光への恨みと皮肉をこめた唄である。咲いた桜、とは、有馬新七以下の暴発組の連中のことだ。かれらは、志に花を咲かせてこの寺田屋に屯集した。そこへ、久光は、奈良原喜八郎らの慰留団(実...
竜馬がゆく

島津久光、出陣

この前後、竜馬の一生を一変させる情報が四国山脈を越えて土佐に入ってきた。「薩摩の島津久光が大軍を率いて京に入り、天子を擁して幕府の政道を正す」というのだ。幕末、この情報ほど天下の志士を興奮させたものはなかった。薩摩藩が、現在の言葉で言えば、...
竜馬がゆく

寺田屋騒動2

竜馬がこの異変の宿「寺田屋」をたずねたのは、その翌日である。 寺田屋の台所は三十畳ほどの板の間で、年代が磨き上げた黒檀のような光沢がある。その板の間に白い足袋を映しながら歩いていた女将のお登勢が、ふとのれんをあげて、「まあ、坂本さま」と、奥...
竜馬がゆく

寺田屋騒動

その「暴動計画」に加わったのは薩摩藩でもほんの二、三十人であった。薩摩藩は本来、長州藩とは違い、藩公を中心とした徹底的な組織第一主義の国家である。かれらを「不逞(ふてい)」とみた。不幸はここからおこった。(竜馬がゆく3 P60) 京都錦小路...
薩摩藩

薩摩藩島津久光、入京

薩長両藩が家中ぜんぶ倒幕侮幕論者かといえばそうでなく、どちらも藩の首脳部や上士の九割までは保守主義で、前記、加賀藩、仙台藩と変わらなかった。薩摩藩主の実父で事実上の藩主だった島津久光などは、明治になってからでさえ、 倒幕?とんでもない。おれ...
徳川幕府

千載列青史 篤姫

安政五年一月十九日 (いいやつなんだがなぁ) 武市半平太は、龍馬のことが、頭にこびりついて離れない。 が、今の龍馬には世界観がないのである。天下国家がどうなろうとかまわず道場ボコりにまみれている。 (あのままでは一介の剣客になるしか仕方のな...