薩摩藩

薩摩藩

小松帯刀

その翌日。慶応二年正月21日が、薩長両藩の会盟の日となった。会場については、竜馬が「長州人の心は傷ついている。かれらがいる小松の邸を会場とし、薩摩側が腰を上げて出向いてゆく、というかたちをとってはどうか」といった。西郷は承諾した。ただ、薩人...
土佐藩

西郷隆盛と龍馬

とにかく西郷は竜馬を(今まで見たことのない型のやつだな)とおもった。竜馬も同じことを思った。論理(ロジック)が、けんらんたる逆説にみちている。竜馬は、「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は、「大至誠にして欲を去ろう」とした。竜馬にいわせれば...
幕末の女性

西郷隆盛と愛加那

西郷隆盛と奥さん 初婚 最初の結婚は、嘉永5年(1852年)25歳の時に、薩摩藩士の娘 須賀と結婚。この頃隆盛は江戸に赴任して幕府の次期将軍と薩摩藩の関係構築に奔走。その間に須賀の実家の財政がひっ迫することになりやむなく離縁。結婚生活は2年...
竜馬がゆく

薩長同盟

竜馬はだまっている。やがて火鉢のふちをつかみ、「委細は桂君から聞きました」と、迫るようにいった。「ほう」「西郷君、もうよいかげんに体面あそびはやめなさい。いや、よい。話はざっときいた。桂の話をききながら、わしはなみだが出てどうにもならなんだ...
竜馬がゆく

生麦事件

香港ずれをした不幸な四人の英国人は、そういうすべてを、軽くみた。日曜日。快晴である。馬上、談笑しながら東へ進んだ。向こうから薩摩の行列がやってくるのだが、歩度をゆるめようともせず、むろん、馬からおりようともしない。当時、このあたりの街道は、...
薩摩藩

薩英戦争始まる

「英国の東洋艦隊が、日本の一侯国と戦って敗退したという報道はロンドン・タイムズに載った。これが英国政府にえらく衝撃をあたえたらしい。」と、竜馬は勝海舟からきいたことがある。英国会議では責任者のクーパー提督を非難する議員もあり、この戦闘が契機...