幕末の女性グラバー夫人 屋敷は洋風平屋で、屋根だけが黒瓦をおいた日本風である。グラバー自身の設計で日本人の大工がこしらえたのだという。三人は応接室に通された。八畳ほどのひろさで、窓ガラスを通して湾内の灯がみえる。やがてグラバー夫人のお鶴が、みずから酒と料理をはこん... 1865.07.02幕末の女性竜馬がゆく
幕末の女性馬関戦争 のちに明治陸軍の創設者の一人になった山縣有朋、当時まだ若かった足軽上がりの山形狂介が、壇ノ浦砲台の隊長になり、眼前に展開する西洋艦隊を見ながら、酒樽十丁のカガミをポンポンと抜き、「さあ、何はなくとも眼下に並んだ夷艦十八隻、あれを肴にぞんぶん... 1864.08.05幕末の女性諸外国長州藩
幕末の女性クリミア戦争開戦 クリミア戦争 1)イェルサレムの聖地管理権問題もともとはフランスが管理していたイェルサレムですが、フランス革命の混乱期にロシアの支持を受けギリシア正教会に管理権が渡ります。ナポレオン3世はオスマン帝国に圧力をかけてこの権利を取り戻したのです... 1853.10.01幕末の女性諸外国
幕末の女性栄姉さん なまくら(鈍刀)をもって発つかうとうとした。一刻ばかり、ねむったらしい。たれかが入ってきた気配に竜馬はとびおきた。姉のお栄であった。「なんだ、姉さんか」「竜馬さん、刀をおさがしだそうですね」「あ、もうご存じですか。どうもうちの家内、親族一党... 1862.03.20幕末の女性江戸時代の常識・風習竜馬がゆく
土佐藩武市富子 アギはいますかいの 帰国して三日目に、竜馬は、播磨屋橋を東へわたって、新町田淵町という、町名の二つかさなった城下の町に出かけた。 そこに、武市半平太の「瑞山塾」がある。========= 「アギ(顎)はいますかいの」と、竜馬は塾生のひとりに... 1858.11.03土佐藩幕末の女性
幕末の女性乙女の決断 「私が龍馬でも、脱藩します。男でないのが、くやしいくらいです」どうやら話の風むきがかわってきた。「泰平の世ならべつ。こんな時勢に女にうまれてきたことは、くやしくて仕方がありません。竜馬も、そう思うでしょう」「そうですな」武芸にも長じ、肚も大... 1862.03.18幕末の女性竜馬がゆく