幕末の女性

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長崎の女傑 大浦お慶

長崎に、油屋町という町がある。西浜町とならんで大商人の店が多い。大阪でいえば船場、江戸でいえば日本橋あたりに相当するかもしれない。その油屋町に、大浦お慶という日本茶の輸出で大身代をきずいた女商人が住んでいる。「その家を借りて会談してもらう」...
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グラバー夫人

屋敷は洋風平屋で、屋根だけが黒瓦をおいた日本風である。グラバー自身の設計で日本人の大工がこしらえたのだという。三人は応接室に通された。八畳ほどのひろさで、窓ガラスを通して湾内の灯がみえる。やがてグラバー夫人のお鶴が、みずから酒と料理をはこん...
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津田梅子

(不幸だな)と、竜馬はおもった。乙女の鬱屈が、であった。それほどの自分をかかえて、いささかもその自分を行動で表現することなく、実家の奥の一室でむなしく歳月を消費しつづけてゆかねばならないのはよほどつらいことにちがいない。竜馬が行く8p126...
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馬関戦争

のちに明治陸軍の創設者の一人になった山縣有朋、当時まだ若かった足軽上がりの山形狂介が、壇ノ浦砲台の隊長になり、眼前に展開する西洋艦隊を見ながら、酒樽十丁のカガミをポンポンと抜き、「さあ、何はなくとも眼下に並んだ夷艦十八隻、あれを肴にぞんぶん...
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門付け・軒付け

「なんだえ、あれは」と通行人が目を見張って竜馬らをみてゆく。先頭をゆく竜馬は、左手をふところ手。それが鼻歌でカンカン踊りの文句を歌ってゆく。 うしろのおりょうが、まさか月琴を伴奏してゆくわけではないが、とにもかくにも月琴を抱えているために、...
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勝邸に… 勝海舟と子供

「お父様」といったのは、ことし十四歳になる次女の孝子である。のち、旗本の疋田氏にお嫁入りした娘で、なかなかの利発者であった。「裏の木戸のそばに、毎夜、浪人者がすわっているのをご存じでございますか」「どんな男だ」「大きい人でございます。刀を抱...