お田鶴さまがいうには、要するに竜馬がはがゆいのである。
竜馬がゆく4 P65
長州藩の攘夷さきがけとともに、天下はいよいよ騒然としてきた。そのなかにあって竜馬はいったい何をしているのか。
「まあ、お田鶴さま、ながい眼でみてくだされ。天下の有志が、京に集まって騒いでいるが、わしが一人その仲間に入ったところで、数が一つふえるだけのことだ」
「竜馬殿はかわっていますね」
「なるほど、変わっちょるに変わらん」
猫久
長屋に住む行商の八百屋の久六は、性格がおとなしく怒ったことがないところから「猫久」と呼ばれています。
そんな男がある日、人が変わったように真っ青になって家に飛び込むなり、女房に 「今日という今日はかんべんできねえ。相手を殺しちまうんだから、脇差を出せッ」 と怒鳴ります。 女房は止めもせずに押し入れから刀を出すと、神棚の前で、三べん押し頂き、亭主に渡しました。
これを見ていた隣の熊五郎は、床屋に行って「変わった女房だよ」と一部始終を話していました。隣で聞いていた侍が「しかと、さようか。笑ったきさまがおかしいぞ」と熊五郎に説教
「よおうく、うけたまわれ。日ごろ猫とあだ名されるほど人柄のよい男が、血相を変えてわが家に立ち寄り、剣を出せとはよくよく逃れざる場合。また、日ごろ妻なる者は夫の心中をよくはかり、これを神前に三べん頂いてつかわしたるは、先方にけがのなきよう、夫にけがのなきよう神に祈り夫を思う心底。身共にも二十五になるせがれがあるが、ゆくゆくはさような女をめとらしてやりたい。後世おそるべし。貞女なり孝女なり烈女なり賢女なり、あっぱれあっぱれ」
熊五郎、家に戻ると口やかましい女房に侍から聞いた説教をひとしきり披露して「てめぇなんか頂いた事なんてないだろう」というと女房も「私だって頂けるサ」と言い返す。
ふと見ると今日のおかずの鰯を猫がくわえている。熊が「かかぁ、すりこぎを渡せ!」と言うと、女房が
「待って!いま、すりこぎを神棚に押し頂いているところだよ」
原話は不詳で、幕末の嘉永年間ごろから口演されてきた、古い江戸落語で、明治中期の二代目小さん師が完成させた噺で、それ以来代々小さん師が工夫を重ね現代まで伝わってきました。
刀を抜かないのが勇気である
とある藩の藩主が参勤交代で江戸に来た藩士達に「刀はいちばん立派なモノを持て」と触れました。
ある日藩士が町で遊山していたところならず者の町民にからまれます。喧嘩にならないよう我慢をしていると「これほど言っても刀を抜かないのか」とまで愚弄されました。いったん刀に手を掛けましたがそのままその場を去ることに。
噂を聞いた家老は自藩が臆病者と思われると藩士を呼び出して詮索したところ
「抜刀して切り捨てるのはたやすいですが、自分は家宝の刀を差していました。そんなつまらぬモノのために私の刀を汚すわけにはまいりません」と言い訳をした。
そのことを聞いた藩主は
「そのために皆に立派な刀を持たせた」と大いに喜びました。
(江戸の組織人 山本博文著 P259)
武士は、町人に愚弄などされれば「切り捨て御免」が許される立場です。しかし江戸中期を過ぎれば、ヘタな抜刀騒ぎは藩の立場まで危うくする場合もありました。
武士として面目を保てる「いいわけ」があれば武士の面子が保たれます。
新渡戸稲造の著書『武士道』にある
刀を抜かないのが勇気である
も、この藩主のような精神と同様のことといえます
武士道・新渡戸稲造
文久2年(1862年)8月8日生まれ
「日本最初の国際人」として多方面で活躍
国際連盟事務次長
国際連盟事務次長となった新渡戸稲造は、「新渡戸裁定」と呼ばれる裁定を下します。
これは、スウェーデンとフィンランドの間にあるオーランド諸島を舞台にした領土問題について、3者間で誰かが得をして誰かが損をするという事態を避け、むしろ「3者全員が希望を叶えられない」という形での解決でした。しかし結果的には、表面的な希望は叶わなくても、根源的な問題は解決する形で収めることに成功しています。
著書『武士道』
海外で活躍する新渡戸稲造が、日本を見直して書いたのが『武士道』です。この書は、日本人の倫理観について著述してあり、世界中で読まれることになりました。「女性の教育とその地位」という章もあり、女性教育に力をいれていた新渡戸稲造の思想を知ることができます。
教育者
教育者としては新渡戸文化学園初代校長、京都帝国大学・東京帝国大学教授、東京女子大学初代学長と多数の学校の教育にかかわり、「コモンセンス(常識)」の重要性を説きました。
日本銀行/五千円券
新渡戸稲造が五千円札の肖像画となっていたのは、1984年から2007年までの間です。これは和暦に直すと、昭和59年から平成19年までの約20年間となります。この間にはベルリンの壁の崩壊や皇太子殿下(現天皇陛下)と雅子様のご成婚、Windows 95の発売などがありました。
お札の肖像画は、世界に対して誇れるような人物であること、知名度が高いことと言われており、新渡戸稲造は世界的に活躍した国際人であり、著作である『武士道』を通じて世界中でも名前が知られています。写真も残されていることから、紙幣の肖像画に採用されたと言われています。