高崎城乗っ取り計画

高崎城乗っ取り計画

尊皇攘夷の風が強くなる文久三年。師匠の尾高惇忠(おだかあつただ)とともに、渋沢栄一、渋沢成一郎(喜作)の3名が中心となり武蔵国から立ち上がろうと計画します。
まず高崎城を乗っ取り、城にある軍備を手に入れ整えたら、ただちに横浜へ進撃して、横浜の洋館を破壊、外人と見るや皆殺しにするという大胆な計画です。

攘夷を断行するには先ず軍備を整えること。白羽の矢を立てた高崎城は、血洗島(ちあらいじま)村からほど近く、手近で調達するのに都合がいい。
高崎城は上野国群馬郡(現・群馬県高崎市高松町)にある高崎藩の藩庁。烏川に沿って築城された平城で周囲は土塁で囲まれているだけなので攻め落とすのはさほど難しいとも思えない。
乗っ取り決行の日は文久3年(1863)11月12日(その日は冬至)と決定。

 武器の調達は渋沢栄一の役割に。旅商人を装った栄一は父から藍の買い入れをするという名目で受け取った三百両を懐に神田の武具屋から買い集めることに。本当に欲しかったのは鉄砲だが、幕府の嫌疑を受ける危険があるので断念。その代わりに刀や槍その他を大量に買い込み、10月半ばまでにはほぼ準備を整えます。

渋沢栄一はこの活動を尽くすため、夜を徹して父親を説得。
渋沢家の家督を辞してまで攘夷の活動を始めることを決断しました。

尾高長七郎の涙

 10月25日夜、尾高惇忠の弟・尾高長七郎が京都から戻ります。
長七郎は京都滞在中に政治の大きな変動・八月十八日の政変を目撃し、一個人や一集団で体制を変えることの困難さを実感。
そこで、武力で強引に歴史を変えようとすることの無謀さを仲間に諄々と話し、渋沢らが計画する高崎城の乗っ取りに自分は参加しない、乗っ取り計画は止めるよう説得を始めました。
この説得は、数日続き、弟の平九郎など説得を受け、ついに計画は中止。クーデターは未遂となりました。

幕府に怪しまれる

未遂とはいえ高崎藩クーデターの動きで、幕府が怪しいと目をつけることとなり、官憲が捕縛にくるとの情報がきます。
そこで渋沢は藩から出て、一橋家使用人の平岡円四郎を頼って京都へ。平岡の口利きで一橋家に仕えることとなりました。