武市半平太 投獄

「武市半平太」
とあらためて声をかけ声をかけ、藩命を読み上げた。
「右の者、京都に対し奉りそのままにしておきたがし。その余、ご不審のかどこれあり。 追って、あがりや(士分の牢)入りおおせつけられ候事」
武市は平伏して命を奉じ、顔を上げて、
「まだ朝飯を喫しておりませぬ。しばし間をあたえられよ」
と富子に支度を命じた。
富子は、すぐ膳をはこんできて、めしをついだ。これが、半平太への最後の給仕になることを、富子は知っている。
悲嘆を、懸命に堪えていた。
「竜馬はどうしちょるかのう」半平太は、ぼそりといった。

竜馬がゆく4P232

尊攘派の情勢が急激に悪化する中、9月21日に「京師の沙汰により」の名目で半平太ら土佐勤王党幹部に対する逮捕命令が出され、半平太は城下帯屋町の南会所(藩の政庁)に投獄された。
獄吏が半平太の人物に傾倒したために彼らに便宜を図ってもらえたとされ、獄吏らを通じて家族や在獄中の同志と秘密文書をのやり取りも可能となった。これにより、長期にわたる獄中闘争の中で同志の団結を維持し続けると共に、軽挙妄動を戒めた。取調べの際、上士である半平太は結審に至るまで拷問される事はなかったものの、軽格の同志たちは厳しく拷問された。
(wiki)

富子のほたる

夫婦の絆が強かった半平太と富子。
半平太が牢屋に入れられてから3年間、毎日3食分の弁当をつくって半平太に届けた。また、半平太をなぐさめるため、花や蛍までとどけたそうだ。
(幕末維新人物大辞典 より)