天誅組挙兵

大事件が待っていた。
ひとつは国もとでは武市半平太が投獄されたこと、もうひとつは、大和平野で挙兵した吉村寅太郎らが諸藩の兵に包囲され、奮戦のすえ、そのほとんどが闘死したことである。
竜馬はこの報を神戸村の海軍塾できくや、
「やったかぁ」
と、刀をかかえて庭へとびだし、庭前の松の若樹を一刀両断にし、そのあと刀を垂れたまま、呆然とした。
弾圧時代が来た。

竜馬がゆく4 惨風 P220

八月十七日天誅組の乱、始まる。
孝明天皇は、攘夷親征の詔勅を発する(外国圧力に対抗しろという方針)ため、神武天皇陵の参拝(大和行幸)を決めます。
吉村寅太郎ら攘夷親征祈願を願う攘夷派浪士は大和行幸の先鋒となるため、同志を集め、大和国(奈良県)に向かいます。
手始めに、幕府天領の大和国五条代官所を襲撃して、代官鈴木正信(源内)の首を刎ね、代官所に火を放ちます。
これで天誅組を挙兵して桜井寺に本陣を置き五条を天朝直轄地にしたことを宣言。五条御政府と名付けます。

しかし、翌日に京で八月十八日の変が勃発。
長州藩や攘夷派公卿や浪士達が失脚して攘夷親征を目的とした大和行幸は中止。天誅組は、挙兵の大義名分を失ってトチ狂った「暴徒」のような扱いになり追討を受ける身に。

奈良・十津川郷に移った天誅組は、十津川郷士を巻き込み、一時千人近い兵士を集めます。しかし、寄せ集められた兵士の士気は低く、幕府が諸藩に命じて大軍を動員をして天誅組討伐を開始すると、一気に形勢を崩して、9月15日、主力となっていた十津川勢が離反を宣言。郷士代表の野崎は責を負い自害します。
9月19日忠光は天誅組の解散を命じます。
9月24日の鷲家口での戦い幕府軍との戦いで組織は離散。この戦いが天誅組の組織としての最後の戦闘とされています。

9月27日。天誅組総裁吉村寅太郎、津藩兵により射殺される。
享年27歳
吉村は、8月26日の戦いで重傷を負い天誅組一行から遅れ駕籠に乗って追従しているところを撃たれた。これによって天誅組は壊滅しました。