高杉晋作、白石邸に

下関には、藩主毛利公から名字帯刀を許された豪商で、白石正一郎というふしぎな人物がいる。

(竜馬がゆく3 P17)

白石正一郎の日記より

異国船の報復にあい、下関が大きく荒れた6月5日。豪商白石正一郎の日記にも
「前田ノ台場大砲損ジ異人バッテーラ(ボート)ニテ上陸」
「人家焼亡等大騒動ニ相成」
と記していました。

翌日、白石邸に長州藩士・高杉晋作が訪れます。
白石の日記には
「今後及深更高杉晋作君 出関此方へ止宿」(今夜遅く高杉晋作君が下関に来て我が家へ宿泊した)とある。
この1行だけだが、藩に奇兵隊構想を伝えた高杉は白石にバックアップの願いをし、白石もその意に応える話し合いがおこなわれたのでしょう。

白石正一郎、志士となる

白石のバックアップの甲斐もあって、高杉の奇兵隊は4日後には60名が参加。すぎに300名の大所帯になりました。
その中には、白石正一郎と弟の廉作も参加します。
正一郎は、奇兵隊員の会計方として、また隊士たちの金銭面の世話もします。働き盛りの隊員たち数百名の生活費も私財を惜しみなく投入しました。

しかし、正一郎には悲しい知らせが。
四ヶ月後の生野の変という長州藩内戦で弟の廉作死去の報を受けます。
また、奇兵隊の援助がふくらみ、白石家の商い「小倉屋」の借金が高まり倒産寸前まで追い込まれます。
それでも、奇兵隊への投資と、一兵士としての参加をやめることはありませんでした。
(豪商たちがつくった幕末・維新)