龍馬、四天王寺の果たし合い

事件がおこったのは、それから数日のちである。
早朝、竜馬が自室で朝飯を食っていると、陸奥陽之助が、例の無愛想な美少年づらであらわれた。
「坂本さん、あなたは北辰一刀流の名人だと聞きましたが、ほんとうですか」
「朝っぱらから、何を言いやがる」
〜〜
「実は、私が江戸にいた頃に面識のあった男で、水戸藩兜惣助(甲宗助)という熱狂的な攘夷主義者がいます。剣は新道無念流の達人で、筑波山で人を斬ったという男です。京都でもほうぼうの暗殺に関係しているらしい」
「暗殺勤王派か」
〜〜
「幕府の軍艦奉行勝海舟先生を暗殺するのが目当てです」
「おいおい」
(竜馬がゆく4 P23)

幻に終わった“龍馬の決闘”に勝海舟が仲裁

 水戸浪士、甲宗助(兜惣助、かぶとそうすけ)と大和浪士、乾(いぬい)十郎。2人は勝を攘夷論者を売国奴とみて、勝に近づき暗殺を企てていた。だが、逆に勝に感化されていく乾をみて、計画が露見しないよう乾を殺害しようと拉致する。
これを知ったのが、乾の親友で、後に勝の塾生となる伊達小次郎(だてこじろう)=陸奥宗光(むつむねみつ)。小次郎は龍馬と塾頭の佐藤与之助に助けを求め、3人で後を追いかける。安治川口に着くと、土手の上では甲と仲間4、5人がまさに乾を斬ろうとしていた時、龍馬が中に入り、その場を収めた。

 龍馬はそのとき「後日、話し合い、あらためて言い分を聞こう」と乾の身柄を預かるが、そのまま大坂西町奉行所に乾を預けてしまう。
お上にかくまい手が出せなくなった甲宗助は大激怒。「我にはかることなく、奉行に引き渡すは我を侮蔑せる挙動なり」(維新土佐勤王史)と、龍馬にが四天王寺の境内での決闘を申し込み、龍馬も受けてたった。

 「龍馬の決闘」を知った塾生らが大坂城の勝に急報。勝は自分の暗殺計画の主謀者甲宗助を城内に呼んで説得、和解させる。
こうして「四天王寺の決闘」は幻に終わったのである。

 この事件がきっかけで、陸奥宗光は龍馬の義侠(ぎきょう)心と度胸に強く打たれ、「その人となりを慕いつつ、ついにその子分となりたる」(陸奥宗光伝)と言った。

旭堂南陵

この物語を「四天王寺の果し合い」として講談読みしていたのが、四代目旭堂南陵(上方講談(講釈師)の大名跡。旭堂一門の留め名)。
上方に唯一残っている旭堂一門は、東京田辺派系の初代旭堂南陵が旅まわりのののち明治20年頃に三ッ寺筋に居を構え大阪に講談を広めていった。
上方でも明治・大正期には講談が大流行し、多数の小屋がありましたが、ほとんどが廃れていき、昭和には大阪の旭堂一門・旭堂小南陵(当時)が支えていました。テレビタレントとしても人気があり、第15回参議院議員通常選挙で当選し国会議員も務めました。
講談の古典ネタの掘り起こしも精力的に行なっていました。
2020年7月30日に亡くなりましたが、多数の弟子を育てており、幕末歴史好きの旭堂南春が「四天王寺の果し合い」を掛けています。
 旭堂南春/アメリカ合衆国・ジョージア州アトランタ生まれの女性講談師。