1863-06

長州藩

高杉晋作 奇兵隊を結成

長州の沿岸砲台は、外国軍艦との交戦で完敗した。砲兵だけでなく、長州海軍も二隻の軍艦を失って、完敗した。さらに長州藩を極度に緊張させたのは、六月五日、フランス艦隊と戦って敗北した陸軍の敗報である。これは藩庁を狼狽させた。「陸軍ならば」と思って...
文化人教養人

緒方洪庵

足守藩(現在の岡山県)出身の緒方洪庵は、江戸・長崎で蘭学や西洋医学を学んだのち、大坂で開業医とともに、最新の蘭学塾として適々斎塾(適塾)を開いた。ここには、福沢諭吉をはじめ、橋本左内、大村益次郎、大鳥圭介ら、多くの優秀な人材が集まった。 幕...
竜馬がゆく

日本を今一度せんたくいたし

故郷の姉に手紙をかいている竜馬の筆さきを、おりょうは横からそっとのぞきこんだ。「これこれ、のぞき見するような不作法はいかん」と竜馬はいった。なぜなら、おりょうの婦人としての教養のために、小笠原流諸礼の本や、習字の折手本などを送れと書いている...
竜馬がゆく

京都留守居役

「京都留守居役」というのがあった。〜〜 幕末では、がらりとこの仕事の質がかわった。諸藩の京都周旋方、公用方、応接方といった外交官連中は、京都論壇での中心的勢力で、諸藩の同役と三本木あたりの妓楼で社交し、湯水のように金を使っている。長州藩の桂...
土佐藩

龍馬、四天王寺の果たし合い

事件がおこったのは、それから数日のちである。早朝、竜馬が自室で朝飯を食っていると、陸奥陽之助が、例の無愛想な美少年づらであらわれた。「坂本さん、あなたは北辰一刀流の名人だと聞きましたが、ほんとうですか」「朝っぱらから、何を言いやがる」〜〜「...