長州ファイブ!密航

幕末における長州藩の暴走というのは、一藩発狂したかとおもわれるほどのもので、よくいえば壮烈、わるくいえば無謀というほかない。
国内的な、または国際的な諸条件が、万に一つの僥倖をもたらし、いうなればこの長州藩の暴走がいわばダイナマイトになって徳川体制の厚い壁を破る結果になり、明治維新に行きついた。
たしかに行きついた。
しかし、行きついた、としか言いようがないのである。

竜馬がゆく4 P59

長州五傑

長州藩によるイギリス密留学の五名が横浜を出航する。長州藩の伊藤俊輔(博文)、志道聞多(井上馨)、山尾康三、遠藤勤助、野村弥吉(井上勝)。
五月十二日未明、イギリス戦に潜り込み、横浜港から出港。
長州藩の藩論は破約攘夷であったが、将来的には外国との通商を視野に入れており、人材育成を目的に留学生を送り出した。(幕末維新史年表)

この五人は、前年の文久二年12月12日イギリス公使館を焼き討ちしたメンバーです。
しかも長州藩は、ほんの2日前に関門海峡の外国船を無差別攻撃。
外国排除を推し進めている長州藩が、同じタイミングで藩の金を使って留学生を送りだしました。

長崎歴史文化博物館蔵

イギリス密留学は、トーマス・グラバーなどの協力を得て実現。旅費と1年間の生活費で五人で五千両の要求をうけ、銃砲購入資金として確保していた1万両の準備金から半ば脅迫的に確保。なんとか密航の手配ができました。
長い航海のすえ、イギリス到着は 11月4日。
五人は、寄宿主のアレキサンダー・ウィリアムソンが属するユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の法文学部へ聴講生の資格で入学。

この5名は長州ファイブ(Choshu Five)と呼ばれて、ロンドン大学は1993年に顕彰碑を建てました。
そのことを知った西日本国際交流推進協会が「地元にも顕彰碑を」と運動した結果、2003年に山口市に顕彰碑が建立。その碑文では、井上馨は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上勝は鉄道の、それぞれ「父」とされています。

『長州ファイブ』(ちょうしゅうファイブ)というタイトルで、2006年に日本映画を製作。萩市・下関市の地元企業や市民の全面協力体制で創られた地方創世映画。

遠藤勤助は、後に日本造幣局長となります。
毎年4月中旬の1週間、局内の桜並木を一般公開する桜の通り抜け (大阪造幣局)は、明治16年(1883年)に当時の局長だった遠藤の指示により始まり、現在も大阪の春の風物詩として継承されています。