勝海舟、容堂に謁見

「なに、勝先生が?」
すぐ立ち上がってみずから甲板へ出た。この気さくさも、いままでの大名ではない。それだけではない。
「いやこれはちょうどよい。酒の相手がほしかったところですよ」
と、家来に支度をさせ、勝とともに短艇に乗じて、陸に向かった。
浜辺の料亭で、飲んだ。
「ところで、御家来の中で、坂本竜馬という者をご存じですか」
「知りませんよ」

「海舟先生のお顔に免じて、脱藩の罪、帰藩のこと、ゆるしましょう」
「帰藩と申しても、国許に帰すということでなく、身動きを自由にさせてやっていただきとうござる」
「ああそれもどうぞ」

竜馬がゆく3 P311

文久三年(1863年)龍馬は勝海舟とともに幕艦・順動丸で兵庫から江戸に向かう途中の1月15日。 勝海舟が伊豆下田に前土佐藩主・山内容堂を訪ねた。
自分の弟子になった龍馬らの脱藩罪赦免を直談判する。
酔った容堂は、龍馬の脱藩赦免を認め、その証拠として扇面にひょうたんの絵と「戯酔三百六十回鯨海酔候」と署名し、海舟に手渡した。
その結果、龍馬は京都の土佐藩邸で7日間の謹慎処分を受けただけで脱藩罪を許されることとなりました。

坂本龍馬の脱藩の鍵を握った「剣菱」

土佐藩の15代藩主にして、幕末の四賢候(しけんこう)のひとりにも数えられる山内容堂(豊信)もまた、剣菱の愛飲者だった。彼は『剣菱賦』のなかで、「剣菱にあらずんば即ち飲むべからず」「(剣菱は)何物にも代えがたい宝」「(剣菱のロゴの)輝きは北斗七星よりもまばゆく感じられる」などなど、とにかく剣菱を絶賛。また、山内容堂といえば、伊豆下田・宝福寺での勝海舟との会談で坂本龍馬の脱藩を許したエピソードがよく知られている。
勝海舟の直談判に対し、山内容堂は勝海舟が酒を飲めないことを知りながら「ならば、この酒を飲み干してみよ!」と応酬。
勝海舟がためらうことなく朱の大杯を飲み干すのを見た山内容堂は、坂本龍馬を許す証として自らの白扇に瓢箪を描き、そのなかに「歳酔(にふ)三百六十回(=1年中[360日]酔っぱらっているという意味) 鯨海酔侯(げいかいすいこう/山内容堂のいわばペンネーム)」と記して勝海舟に手渡したといわれている。
(剣菱酒造ホームページより抜粋)