英国公使館焼き討ち

江戸桜田の長州藩邸にいる同藩の過激有志の旗がしら高杉晋作が、
「薩摩藩が、生麦で夷人を斬って天下の攘夷のさきがけをした。長州藩たるものがそれに負けていてはならぬ」
と、同志に説いた。高杉のいうところでは薩摩藩に勝つにはもっと大きなことをやらなければだめだ。

さて、その12日の夜、一同は神奈川の下田屋に集合した。あすは暁に討って出、金沢におもむこうというのだ。
(竜馬がゆく3 P269)

英国公使館焼き討ち事件

文久二年12月12日(西暦は1863年)。長州藩高杉晋作ら、品川御殿山(品川区)に建設中だったイギリス公使館を焼き討ちする。高杉は攘夷運動の急先鋒として、長州藩の同志・九坂玄瑞、井上馨らと襲撃し、全焼させた。

隠れ開国派?高杉晋作

この時期の長州藩の主流になってきた考えは「破約攘夷」と呼び、外国と結んだ協約を全て破棄して、外国人を追い出し、再び鎖国状態に戻せといきまいていました。
高杉晋作らも、ライバルの薩摩に負けていられません。イギリス公使(代理公使ニール)を外出時に叩き斬ろうという計画を立てましたが、藩主の耳に入り中止になりました。

この春に清国に行き、アヘン戦争・アロー号事件なのでイギリスに征服されたような姿を見た高杉晋作。高杉晋作・上海へ
日本に来たイギリス人の一人や二人殺したところで、逆に日本に攻め入る口実を与えてしまうことにもなります。しかしそれを仲間に話しても、思想が変わったのかと突き上げられてしまいます。
そこで、「英国公使館を焼き討ちしてしまえ!」と長州藩も実行に移しました。
しかし、英国公使館は建設途中だったのです!
建設途中の建物を夜中に燃やしてしまったことで、
長州藩は「夷狄のえらそうな建物をぶっ壊したぞ」という達成感を得られました。
建設を計画した幕府は「建て直ししなきゃ」となり
イギリスは「ファイ?」
最小限の被害で長州藩の面目を立てる優れた計画となりました。

長州ファイブ

この時のメンバーは高杉隊長率いる御楯組(みたてぐみ)と呼びました。
中でも注目は、長州ファイブ!
伊藤俊輔(博文)、志道聞多(井上馨)、山尾康三、遠藤勤助、野村弥吉(井上勝)
英国邸を焼き討ちしたこの5人が、約半年後の文久三年五月十二日に驚く行動に出ました!