新町橋のたもと

竜馬がゆく

「坂本さん」
と背後から、押しつぶしたような低い声で、呼びかけた者があった。
「なんぞ」
とふりむくと、眉太く、眼するどく、口の異様に大きな武士がにこりともせずに立っている。
「おう、おまん、岩崎弥太郎ではないか」
なつかしそうに、寄って行った。が、弥太郎は、愛嬌のない面構えで、じりじりと暗がりへ下がってゆく。
「弥太郎、なんしに大阪へ出た」
「なんしに?」弥太郎はあきれた。
「わしは横目付けとして、おまんをひっ捕らえに参った。その辻に相役もいる。上意であるぞ。神妙に藩邸へ来い」
(ああ、俺は脱藩人だったな)
(竜馬がゆく3 P25)

新町遊郭(新町橋)

新町橋は、寛文12年(1672)、新町遊廓東側の通路として西横堀川に架けられていました。廓の中心の瓢箪町筋にあり、市内側への唯一の通路のようになっていたことから、「ひょうたん橋」とも呼ばれていました。
 新町遊廓(しんまちゆうかく)は、大坂で唯一江戸幕府公認だった遊廓(花街)。桜の名所でもあった。
市内へつながる橋が7つもあるのは、大門が一つだけで街抜けを警戒した吉原と大きく異なっている。東の橋は道頓堀の繁華街につながり、この橋の上にまで夜店が並び賑わっていました。

新町遊廓 紋章

新町遊廓は、井原西鶴や近松門左衛門をはじめ数多くの文芸作品の舞台となるなど、江戸期大坂文化を語る上で欠かせない場所のひとつです。