寺田屋騒動3

咲いた桜に なぜ駒つなぐ
  駒が勇めば 花が散る

薩摩の殿様島津久光への恨みと皮肉をこめた唄である。
咲いた桜、とは、有馬新七以下の暴発組の連中のことだ。かれらは、志に花を咲かせてこの寺田屋に屯集した。そこへ、久光は、奈良原喜八郎らの慰留団(実は討手)をさしむけた。いずれも薩摩ぶりの勇んだもので、竜馬はこれを駒に見立てている。島津久光は、咲いた桜に駒をつないだ。駒が勇めば、花が散るのがあたりまえではないか。無用無用という意味である。
竜馬はさらに一曲

何をくよくよ 川端柳
  水の流れを みて暮らす

人生流転。
(竜馬がゆく3 P78)

伏見寺田屋中庭(2015.10)

久光・天皇に褒められる

寺田屋騒動の二日後、孝明天皇から薩摩藩・島津家とは縁戚関係のある近衛忠房を通じで、「よくやった」という褒め言葉と、短刀を頂戴します。
久光は「我が事が帝に届いて直接信任を得た」事と考えます。
久光は我が考え(斉彬が「尊王攘夷の」情勢に変わる前にしようとしていた)が正しいものと自信を持ちます。
幕府に直接、公武合体を進言するためいよいよ江戸に進軍を決意します。

久光・江戸に進軍

幕政改革のため、勅使を派遣することを侍従の岩倉具視から強く勧められました。三位の大原重徳を勅使として幕府改革を要求することとなります。
もし従わなけらば、この島津久光軍が兵力に物を言わせると強気の交渉です。
久光軍は、最新型とはいえ鉄砲隊を入れても歩兵七百名あまり。
大砲をぶっ放す黒船と和平交渉を進めている幕府軍に対して、何日も歩兵進軍してきた久光軍の兵力に怯えると考えていたのでしょうか?