寺田屋騒動

その「暴動計画」に加わったのは薩摩藩でもほんの二、三十人であった。
薩摩藩は本来、長州藩とは違い、藩公を中心とした徹底的な組織第一主義の国家である。かれらを「不逞(ふてい)」とみた。不幸はここからおこった。
(竜馬がゆく3 P60)

京都錦小路の薩摩藩邸内の「御殿」にいる島津久光は、八人の藩士を呼んだ。
「寺田屋に屯集して暴発を企てているわが家のものに告げい。よいか。一味の浪人どもはかまわでもよし。わが藩にのみ告げよ。即刻、京の藩邸へきて、予の話を奇形、と申し伝えよ。予がじきじき留意する」
「もしきかざれば、いかがとりはからいます」
堀次郎という藩の公用人で、久光の知恵袋が殿様に念を押した。この男は、大の勤皇嫌いである。
「臨機に」
ただそれだけ、久光は言った。上意討ちという意味である。つまり、斬る。
(竜馬がゆく3 P62)

寺田屋騒動(薩摩藩志士粛清事件)

朝廷内佐幕派一掃計画
幕末一の策士・清川八郎が、江戸を追われて全国行脚している折に出会ったのが公家侍・田中川内介。
この度の久光上洛を知って倒幕派を斡旋して、朝廷内の佐幕派・関白九条尚忠や京都所司代酒井忠義を葬る計画を立てる。
これに薩摩藩士・精忠組過激派の有馬新七が同士を引き入れて参加することに。さらに長州藩久坂玄瑞が京都藩邸から加勢する手はずまで整え、いよいよ実行するのみまで計画が練られました。

西郷・計画を知る
長州藩・白石正一郎宅に滞在していた西郷が佐幕派一掃計画を知り
「佐幕(幕府立て直し)のため上洛する久光を、世間は倒幕に立ったと勘違いをしている」
慌てた西郷は「今はまだ早い」と説得のため、上洛する久光を待たず京に飛んでいきます。しかし、同じ精忠組で人望の熱い西郷の説得でも有馬新七らは頑なに実行を取り下げない。

寺田屋二階より見下ろす

久光・計画を知る
長州で自分を待っているはずの西郷らがさっさと京に入ったことを知った久光は激怒し、西郷隆盛、村田新八、森山新蔵を捕縛、罪人として薩摩へ送還することに。
西郷が京へ行った理由が「薩摩藩士の倒幕計画」と知り、寺田屋に腕の立つものを説得係に送ることに。
久光の近辺でその任に選んだのは、同じ精忠組。奈良原喜八郎、大山格之助、道島五郎兵衛ら8名。