栄姉さん

なまくら(鈍刀)をもって発つか
うとうとした。
一刻ばかり、ねむったらしい。たれかが入ってきた気配に竜馬はとびおきた。
姉のお栄であった。
「なんだ、姉さんか」

「竜馬さん、刀をおさがしだそうですね」
「あ、もうご存じですか。どうもうちの家内、親族一党は女だらけだから、枯れ野に火が駈けずるようにひろまりますなあ」
「しかし、うわさは一族のそとには出ませぬ。洩れれば、罪になります」
「なぜです」
「あなた、脱藩なさるおつもりでしょう」
「あっ、そこまで」

(竜馬がゆく2 P409)

坂本栄

坂本家 次姉の栄は、生没年不詳。
嫁に行ったが、家同士の不仲で離縁し、実家に戻った。とされている
脱藩する龍馬に刀を与え、その責任を取って自害したと言う通説があるが、この説は否定される意見が出ている。

武士の結婚・離婚

江戸時代の武士は、離婚率が高かった。宇和島藩(愛媛県)の記録で、宇和島藩士32人について調べたところ、四割に離婚経験があり、離婚や死別で二度以上再婚をしたものが六割、三度・四度と再婚するものも二割いた。離縁された女性もすぐに再婚しています。
法社会学者の湯沢(やす)彦氏によれば、統計のある諸国で明治半ばまで世界最高峰の離婚大国であったと言います。
町人も農民も有配偶率は50%程度で生涯結婚しない未婚者も多く、また一方で、結婚した人は、何度も離婚と再婚を繰り返し、生涯添い遂げるなんていう概念は日本人にはそもそもなかったのです。
男尊女卑も一因
明治までの社会は、結婚を住み込みの家政婦を契約したぐらいの感覚だったそうで、明治時代の雑誌「女学雑誌」に
<婚姻は一生中の最大なるを、主人が下ひ(家政婦)を雇ひ、下ひが主人に行くやうの心得にて縁を結ぶ>とあります。
結婚とは家政婦になりにゆくことと言い切ってます。それで契約解消ぐらいの意味で離婚となったようです。

三行半

江戸時代は離縁する時には、夫から妻の家族に「離縁しました」と確認する申し渡し状を書きます。離縁状、あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれました。
江戸時代には字を書けない人は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより離縁状と同等の取扱がされていたため、三行半の書類のこととして「みくだりはん」という呼び名で広がりました。
離婚を言い出す台詞として、三行半を叩きつける!とありますが、妻が離婚を望んでいるにもかかわらず離縁状を書かないのは夫の恥とされていたとも。
夫が離縁状を書いても親類や媒酌人(仲人)が預かることも多く、夫からの勝手な一方的離婚の場合には相当量の金銭を妻に持たせることもありました。このように、必ずしも夫が好き勝手に易々と離婚できる制度ではなかったようです。