久坂玄瑞 訪問

文久2年正月十四日、荻の久坂玄瑞訪問

竜馬は、萩に入ると、まっすぐに久坂玄瑞の屋敷を訪ねた。
「本の近所に参っております。いま呼びにやりましたから」
と、細面の婦人はいった。
(この人が、吉田松陰の妹か)

「坂本さん」
挨拶もそこそこに、
「だめです。長州はもうだめだ。長井雅楽という京都屋敷詰の家老がひどい佐幕派で、これが勤王論を圧迫している・・・」
久坂のいう「駄目」とは、江戸で武市らと約束した薩長土三藩による京都挙兵のことである。
「桂も江戸で歯噛みしている。長井のために藩論が、ガラッと変わった」
「ここに武市の手紙がある」
「ああ、土佐藩もだめか」(竜馬がゆく2P370)

龍馬、荻の久坂玄瑞訪問

武市半平太の使いとして文久2年正月十四日、荻に到着したといわれる。

久坂玄瑞

長州の藩医の家に次男として生まれ、17の時に九州に遊学。学問に優れ、秀才と言われた。
吉田松陰門下生で、安政の大獄で松陰が刑死すると、その意志をつぎ尊王攘夷運動のリーダーとして活躍。高杉晋作とともに「松下村塾の双璧」と謳われる。
武市半平太は久坂玄瑞の尊皇思想の考えに影響され、土佐勤王党を結成した。
ただ、吉田松陰ゆずりの「尊皇思想の過激さ」を学びすぎてしまったのか、維新を見ること無く若くして命を落とす。
各藩の志士の横のつながりを期待する中で、龍馬の萩訪問時に脱藩の道を諭した。
長州内では、長井雅楽が中心となる公武合体論派と対立する。