丸亀

竜馬がゆく

文久元年十月

「この讃州という土地は」竜馬は一口飲んで
「上方に大いに回船を送って利をはかり、なかなか商い上手の土地だそうだな。商人衆の地口に、讃岐男に阿波女、というそうではないか」
「讃岐男に阿波女、伊予の学者に、土佐の高知は鬼ざむらい、でしょ?」
「それにしても、土佐は鬼ざむらいとは、分が悪い」
(竜馬がゆく2 P315)

讃岐男に阿波女

四国四州の人間性の特徴をうたったもので、讃岐男は証人としての甲斐性がある。阿波女は、一種の性的魅力がある。伊予国は武より文に長ける。それに比べると土佐は人種が番うと思うほど気性が荒いらしい。
・婿を貰うなら讃岐男、嫁を貰うなら阿波女 とも言われる

面ごとに名あり。
伊予の国は愛比売といい、
讃岐の国は飯依比古といい、
阿波の国は大宣都比売といい、
土佐の国は建依別

「古事記」

イザナギ、イザナミが淡路島を作り、その次に四国を作った時に
伊予の愛比売[えひめ]は可愛らしい女
讃岐の飯依比古[いいよりひこ]は米をつくる男的な感じ
阿波の大宣都比売[おおげつひめ]は、豊かな産物、いわば食物を掌どる女神
土佐の建依別[たけよりわけ]は雄々しい男といったイメージ

丸亀藩

丸亀藩は金刀比羅宮への参道である丸亀街道、多度津街道の起点を持ち、参拝客を相手とした観光業は藩財政を大きく潤おしていました。
幕末になり財政が逼迫すると、江戸詰の藩士たちに隣に屋敷を構えていた大村藩の藩士たちからうちわの作り方を学ばせ、国元に返し内職で作らせ、金毘羅参りの土産物として売るなどの策をとり、財政を立て直した。その後、うちわづくりは一般町民にも広まり始め、丸亀の名物となる。