渋沢栄一

渋沢栄一と坂本龍馬は、北辰一刀流・千葉道場系の兄弟弟子だった!

渋沢栄一

(1840〜1931/天保11〜昭和6)

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営する豪農だった。原料の買い入れから販売まで算盤をはじく商業的な才覚が求められ、14歳の時には信州や上州まで単身で藍葉の仕入れに出かけるほど、商売の基本を身につけました。

文久元年(1861年)に江戸に出て海保漁村の門下生となります。同時に北辰一刀流の千葉栄次郎の道場に入門。坂本龍馬の同門となります。しかしこの時、江戸にいた期間は二ヶ月あまりでした。

江戸に出でて儒者海保漁村の門に遊び、又剣客千葉栄次郎の道場に出入す。居ること二ヶ月余にして帰る。

渋沢栄一『伝記資料』1巻

尊皇攘夷の思想に目覚めた渋沢は、文久三年(1863年)に高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜を焼き討ちにしたのち長州と連携して幕府を倒すという計画をたてる(未遂)。

明けの大黒

「勝負ごとが好き。それも、いつもねばり勝ちである。徹夜して、みんながくたびれ、頭がもうろうとした夜明けごろになって力を発揮し、にこにこしながら、まき上げる。『明けの大黒』といわれたゆえんである。
 若い頃は、1週間ぶっ続けで花札もやった。幕末、最初に洋行するときに着た中古の燕尾服(えんびふく)は、賭碁(かけご)で手に入れたものであった」

『雄気堂々 上』城山三郎[著]新潮社
一農夫が≪日本資本主義の父≫になるまで――。 巨匠城山三郎が描く渾身の名作

近代国家に必要なのは「官」という政治では無く、国民がやる気を起こして経済を盛り上げなければ発展が無い。官主導では無く、民間企業の発展こそが近代国家への道筋だと考え邁進していきます。

明治以降、ヨーロッパの当時最新の金融システムを習得して帰国の後、みんなのお金を集めて産業の発展に寄与するシステムを作る。
江戸時代までの商売・商売人と言う考えではなく、起業家・経営人を育てていくことで日本の近代化が一気に進みました。

仁義道徳と生産利殖とを
別物にしたのは誤ひゅうである。
必ず一緒になし得られるものである。

第一国立銀行をはじめ、東京瓦斯、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現:東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれています。