軽格連中 井口村刃傷事件2

翌五日。城下は大騒ぎになった。
朝になって、うわさを聞きつたえた城下、城外の軽格どもが、ぞくぞくと坂本竜馬の屋敷に集まって来た。
 余談だが、いつのまにか、土佐一藩数百の軽格連中は、自分らの階級の頭目として、坂本竜馬、武市半平太のふたりを担ぎ上げるようになっている。
(竜馬がゆく2 P198)


 余談だが、いつのまにか、土佐一藩数百の軽格連中は、自分らの階級の頭目として、坂本竜馬、武市半平太のふたりを担ぎ上げるようになっている。
(竜馬がゆく2 P198)

井口村刃傷事件2

翌朝には事件は人々の知るところとなり、山田の家には上士達が、寅之進の家には郷士達が集まる。両者、互いに対決せんと息巻いており、一触即発の危機を迎えていた。この時、郷士側に当時25歳の坂本龍馬も参加したと伝えられる。 『維新土佐勤王史』には、「坂本等、一時池田の宅に集合し、敢て上士に対抗する気勢を示したり」とだけ記されている。(wikipediaより)

土佐藩武士の上下関係が、真っ二つに対立することとなったこの事件は、土佐藩のターニングポイントになった。

足軽屋敷イメージ
上士側 吉田東洋

上士側のリーダーであった吉田東洋は、藩お取り潰しの事態を避ける為にも、事を穏便に解決する必要があるとして、山田を斬り殺した事件当事者の命一つで解決するように命じる。

郷士側 武市半平太

郷士側は、池田寅之進らをかくまい「どうしても2人を引き渡せと言うなら、我々郷士は命がけで守る。戦になって、藩お取り潰しになるまでだ」と徹底抗戦の構えを見せる。

しかし、郷士側のリーダー武市半平太(武市瑞山)は、私怨から生じた刃傷沙汰で、尊王攘夷の変革の最中に土佐藩がお取り潰しになるわけにはいかない」と説得をしていた。