桜田門外の変

門前で馬蹄の音が止まったかと思うと、庭先へ旅装の武士が駆け込んできた」
「竜馬、一大事じゃ」
武士は武市半平太である。
「珍しい、おまんがそんな昂ぶっちょるのは」
「大老井伊直弼が、江戸桜田門外で身と、薩摩の夕刻の烈士のために殺されたぞ」(竜馬がゆく2 P220)

桜田門外の変

大老井伊直弼は「上巳の節句」で屋敷から江戸城に登城中、桜田門外で水戸藩脱藩の関鉄之介ら17名に薩摩藩脱藩の有村次左衛門を加えた18名から襲撃を受けた。殺害され、首級を奪われたが、のちに発見され引き取られる。
幕府が進める安政の大獄や諸外国との通商条約締結は諸藩の尊皇攘夷派を激昂させており、水戸藩の尊皇攘夷派が、井伊直弼暗殺の実行に移した。

井伊直弼は開国論者だったというのはウソ

直弼は「国学」を重んじる保守的な考えの持ち主だった。国学とは、「古事記」や日本書紀を重んじ、日本古来の精神に立ち返る事を説いた学問です。
清国を侵略していくイギリスを警戒した幕府は、対米交渉を積極的に進めて大半の大名の賛同を得ていて、1858年を目処にすすめていた。直弼が大老に就任したのは、調印の予定日を過ぎた安政五年1858年4月で、全くこの協議に加わらず、決められた路線を踏襲したに過ぎません。
(幕府通説のウソ/彩図社2019 より)