蘭学通、竜馬

蘭学通、竜馬

そのうち、絵師の河田小竜のほうから、饅頭屋長次郎を使者にして、竜馬のもとに、
「会いたい」
といってきた。
使者の饅頭屋は苦笑していった。
「あんたは、蘭学通じゃという評判が城下にたっっちょります。河田小竜先生がそれほどの学者ならこちらから会いたい、と申されちょるのですよ。
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「ほうか。虚名ちゅうのも、時には役ンたつもんじゃな」
「こんどは、作法どおりに願いますぜ」
「よし、仙台ビラ、五つ紋でゆく」

仙台平,袴,フォーマル

memo 近藤長次郎3

龍馬が土佐に戻っていた頃の安政6年(1859年)正月に、土佐藩上士・由比猪内の下僕として江戸へ旅立つ。たぶん岩崎弥太郎の紹介があったのだろう。
江戸では岩崎の師であった安積良斎の塾に入門。9月11日に母親・鹿が、翌20日には父親・伝次が相次いで亡くなるという不幸があったため、一度帰藩することになる。(当ブログの時間軸とは、ズレが出てしまった!)

家業を妹に継がせた長次郎は、再び万延元年(1860)に江戸へ出る。そして砲術を高島秋帆に、洋学を手塚玄海に学んでいる。

長次郎は後に龍馬と合流するまで、当時の最新の学問を学んでいたのです。