近藤長次郎2

蘭学者

翌日、饅頭屋がたずねてきて、おなじ蓮池町に住む長崎帰りの医者のもとにつれて行った。
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蘭学者は、ねずみのような顔をしていた。
この蓮池町の蘭学者の名前は、残念ながら残っていない。
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ねずみの翻訳は、なかなか面白い。
オランダには、将軍や大名などはおらず、議会というものがある。
憲法というものもある。これは、竜馬のこの時期からさかのぼる十年前の一八四八年に発布されたもので、きわめて自由主義的色彩の濃いものである。
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「今の訳、間違うちょります」
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師匠のねずみは、みるみる真赤になって、
「どこが、間違うちょる」
ときりかえした。竜馬は気の毒そうな顔をして、
「間違うちょるから、間違うちょる。どこが間違うちょるかわからんが、ただずっと間違うちょる」
「お前のいうことはわからん」
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「諸君、あやまる。間違うちょった」

MEMO 近藤長次郎2

龍馬とは、幼馴染であるという話が流布している。幼少期の3歳差は昨今では一緒になかなか遊ばないが、兄弟が多い時代では、多数の年齢差も気にせず群れていたものだ。龍馬は(小説では)塾や道場で預かってもらえず、乙女姉さんに家で教わっていた。一方の長次郎は、子供の頃からまんじゅう売りで商才を磨いている。金持ちの龍馬がしょっちゅう甘いものを買いに行っていたのかもしれない。

長次郎は、幼くして、叔父の門田兼五郎に学んだ。学問には前向きに取り組んだようで、河田小龍の墨雲洞塾に入門する。墨雲洞塾には、武市半平太や田中光顕がいた。彼ら先輩からはいろいろと影響を受けたようである。
安政3年(1856)、小龍から紹介を受けて甲藤市三郎に入門。さらに、安政4年(1857)19歳のとき、やはり小龍の紹介で城下近郊の岩崎弥太郎の私塾に入る。岩崎は、吉田東洋の門を叩く前に、24歳(1856年)で塾を開いていたのだ。