近藤 長次郎

まんじゅう屋

蓮池町の河田邸というのは、小さなせせこましい家で、そこにはいつも画学生が五、六人はたむろしている。
その一人が、取りつぎに出た。
「あっ、これは坂本さま」
と、大きなまんじゅう鼻をひろげた。べちゃ鼻の多い土佐陣にしてはめずらしく鼻が大きい。水道町二丁目にすむ長次郎という若者である。饅頭屋のせがれで、鼻まで商売物のまんじゅうに似て要る。大変な俊才で、ほどなく藩から帯刀をゆるされ、のちに竜馬の子分になり、海援隊士となって、姓名も上杉栄次郎または近藤長次郎となった。が、これは数年後のはなし。
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「本町筋一丁目の剣術使いが絵師になりたいというのか。そんな物騒なやつに絵なんぞ教えられん。追っぱらえ」
そのころ竜馬は、無断で玄関にあがり、いきなり画室のふすまをあけた。
「絵を教えてくれとはいうちょりません。アメリカ事情や薩摩の西洋機械のはなしをききたいと思って参上したんじゃ」
「こ、こいつ」
小龍は絵筆をすてた。

近藤 長次郎

(こんどう ちょうじろう)
天保9年3月7日(1838年4月1日)- 慶応2年1月14日(1866年2月28日)
幕末期の土佐藩出身の人物である。名を春宗。別名は上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人。

高知城下の饅頭商人の息子として生まれ、長次郎自身も饅頭を売り歩いていたため、はじめは苗字がなく饅頭屋長次郎と呼ばれた。幼少期から聡明で土佐では河田小龍、江戸では安積艮斎らに学んだ。その才能を山内容堂にも認められて文久3年(1863年)に名字帯刀を許された上で、神戸海軍操練所に入った。岩崎弥太郎とは知己で、土佐を立つ際には餞別として刀を貰っている。