坂本権平

お国帰り

竜馬は、寝待ノ藤兵衛とわかれて、単身土佐へ帰った。
藤兵衛が国もとまでついてこなかったのは遠慮したのである。
-あっしみてえなのがお供について帰っちゃ、せっかくのお国帰りの錦がよごれます。
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竜馬にとって、江戸出発以来、二度目の帰国である。
こんどは、当代第一流の剣門といわれる北辰一刀流千葉の免許皆伝を得て帰っている。せまい城下では大変な人気であった。
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兄の権平は、帰国早々にいった。
「お前も、半平太に負けずに剣術塾を開け。オシサン(お師匠さん)になるんじゃ。城下の目ぬきに土地を求め、りっぱな道場をたててやるど」
「いや、半平太は半平太です。わしにゃ、チクと考えがある。それまではなんにもせんとぶらぶらしちょります」
「ぶらぶら」
権平は不満であった。

坂本権平

(さかもと ごんぺい)
文化11年(1814年)- 明治4年7月8日(1871年8月23日)
幕末の土佐藩郷士。諱は直方。

坂本直足の長男として生まれる。坂本龍馬の兄で、龍馬とは22歳の年齢差がある。安政2年(1856年)12月4日に父の直足が死去して坂本家当主となり、龍馬の父代わりとなった。
龍馬の土佐藩脱藩には断固反対の立場を取っていたが、のちに理解を示し、資金援助という形で龍馬の志士活動を陰で支えた。

国を奔走して暗殺された弟の龍馬の死後、龍馬の未亡人となり土佐に訪れた楢崎龍を引き取った。
お龍の面倒を見るのは、弟の遺留品と多額な財産が目当てであり、それを知ったお龍は土佐にいられなくなって出ていった。とも言われる