江州水口宿 大前田栄五郎

江州水口宿に入った時は、陽もだいぶ傾いていた。
水原播磨介の人相を説明し、尋ねると
ーそれはあてとこです。
と、いちばんおとなしそうな客引き女がいった。
番頭の案内で部屋に通された時に、播磨介は、喜んだ。
夕食には、どじょう汁が出た。

「ただいま、京都西町奉行所与力 渡辺金三郎さま御出役にてお人改めでございます。」
水原播磨介は「さ、坂本殿、目当てはあてじゃ。私はどうすればよい」
「お逃げなさい。あとは私がなんとか言いくるめます」
播磨介は、自分の着物の襟を割いて、一通の封書を取り出し、「三条家へ届けていただきたく」竜馬に託した。

遠くでけたたましい呼子笛が聞こえ始めた。
竜馬が悠然と往来に出ると、向こうの町角から提灯の群れが現れた(やはり捕まったか)
竜馬は刀の柄に手をやり、解き放ってやろうかと思った時、この京侍のどこにそんな気魂があったのか
「乱心者。お役人集、そのもの狂人でござる。追うてくだされ」

(えらい男じゃったな)竜馬は不機嫌である。

memo 大前田栄五郎

博徒同士の仲介役で名を馳せた大親分
上州を中心として全国に200箇所の縄張りを持つていたと言われる大前田栄五郎。
大場久八、丹波屋伝兵衛と並び「上州系三親分」とも、新門辰五郎、江戸屋寅五郎と共に「関東の三五郎」とも呼ばれて恐れられた。昭和期に好まれ、任侠ものの映画の題材とされました。
キップのよさと腕っ節の強さから関東一の大親分として名を馳せた。また、侠客どうしの争いを収めるのが上手く、謝礼に貰った縄張りが全国に200ヶ所以上あったといい、子分が革の合財袋を担いで上野から甲斐、信州から東海道と幅広い縄張りの上納金を集めて回ったという。
各地の仲介役を頼まれ「和合人」と呼ばれた。