河合橋_森の石松_伯山

播磨介らしい人物が、死んでいる。

竜馬は街道を東に走って十丁。「この橋の真下でございます」(死んだか)
「旦那、灯を」
「照らしてくれ。おい、ちがうな。播磨介殿ではない」
(例の彦根の侍だな)藤兵衛の短刀をひきぬいた。

このあたりでぐずぐずしているはずはない
「赤蔵、来い」竜馬は足早に歩き出した
鈴鹿峠をくだって山中までくると、そこに寝待の藤兵衛がいた。
「旦那、あっしの短刀をおかえしくださいまし」
「おまえがやったのか」
「短刀を残しさえすれば、旦那はお察しになる。かんじんの播磨介殿は、あっしが怖くおなりになすったらしい。」
独りで鈴鹿の麓におりたはずだという。

memo 森の石松

清水次郎長の子分の中でも、とびきり一番人気の森の石松。
清水次郎長と子分の話は、一時期次郎長の養子であった天田五郎が1884年(明治17年)に出版した『東海遊侠伝』に登場した子分の伝記がルーツとなる。
隻眼で刀の鍔で目を覆うイメージがあるが、清水一家の子分で隻眼の豚松こと「三保の松五郎」と混同されている。

神田伯山


一方で、講談師の三代目神田伯山「清水次郎長伝」を最大の売り物とした。様々な創作を織り込み、義理人情が溢れる、愛されるキャラクターの次郎長像を創作して独自の型として完成させたのである。
さらに浪曲師の二代目広沢虎造が、伯山の弟子、神田ろ山の協力を得て、伯山の講談をフシ付けし、浪花節とした。
「江戸っ子だってね、食いねぇ、食いねぇ。寿司食いねぇ」と勧める有名な台詞は虎造の創作である。清水次郎長の代参で讃岐の金毘羅に向かう船中の話なので、神田伯山の設定では、大坂の押し寿司になり、江戸の握り寿司ではない。
金比羅代参の帰り、次郎長への香典を狙った侠客の都田の吉兵衛に騙し討ちに遭い、斬られて死亡する。

伯山は 天一坊で 蔵を建て

平成最後に再び講談ブームを作った神田 松之丞。2020年六代目神田伯山 襲名でいかにメジャーになっていくかが楽しみです。