江戸三大道場

江戸には、若い血気の武士の大巣窟が三つある。

神田お玉ケ池・桶町の千葉道場 塾頭 坂本竜馬
麹町・神道無念流 斎藤弥九郎道場 塾頭 桂小五郎
京橋あさり河岸・桃井春蔵道場 塾頭 武市半平太

この三道場はそれぞれ千数百人ずつの若い剣術諸生を収容している。今日で言えば、さしずめ東京大学・早稲田大学・慶應義塾大学というところだろうか。
彼らは、諸藩の江戸屋敷や、遠くは九州・奥州の遠国の城下町からはるばる出てきた者で、もともと血の気が多い。
維新の志士(佐幕派のたとえば新選組隊士なども含め)の多くは、この三大道場から出ているし、もしこの三大道場がなければ日本史も相当違ったものになっているだろう。

memo 攘夷派とは、

200年以上も鎖国状態だった日本。幕府が諸外国の圧力に押されたように開国を決めると、鎖国に慣れた人々は、未知の新時代に向けて恐怖を感じたことでしょう。

もともと江戸の名門道場は、免許皆伝を受け取るための修行の場。
食いぶちのない下級武士の次男三男などは、免許皆伝をいただき、国元で道場を開いたり、藩に取り入る時の免罪符にしたり、はたまた用心棒になったり・・。職を取ることができたのです。
この度の、開国騒ぎは、今まで頭を押さえていた幕府が、軟弱な態度をとった(ように感じた)ことに、二十歳前後の剣術諸生が議論を戦わせるのは、ちょうど60年安保の大学紛争に通じるものがあったのでしょう。

 

【60年安保闘争事件概要】

1957年、岸信介首相が安保改定に乗り出し、米側と話し合いがもたれ、新安保も現実味をおびた。だがやがて反対デモが活発化し、60年5月19日には新安保条約が強行採決される。請願デモは岸内閣退陣を要求する抗議デモへと変わり、6月15日には国会での衝突のなか、東大生・樺美智子(22歳)が死亡した。