剣術大会

竜馬がゆく

安政四年十月十六日

「竜さん。この秋、土佐藩山内候の肝いりで剣術試合が行われる」重太郎が畳の上に寝転がっている竜馬の顔をのぞいた
「山内候といえば、おれの殿様じゃないか」
「大名が剣客の世話方を務めるなど、世も変わった。噂では肝っ玉のねじれたお人らしいが。わが桶町の千葉道場の代表として、竜さんが立て」
「あんたは出られんチュウんか」
竜馬が桶町千葉の代表となり、北辰一刀流の名誉を防衛する立場になった。

memo 幻の剣術大会

坂本龍馬と桂小五郎が対決――。幕末志士の両者が1857年(安政4年)3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、前橋市の群馬県立文書館に保管されていることが2017年10月30日分かった。歴史研究家、あさくらゆうさん(48)が存在を確認した。(日本経済新聞電子版2017年10月30日)

藩主、山内豊信(後の容堂)の上覧試合とされた大会を巡っては、これまでも複数の史料の存在が伝えられている。だが、開催された日が既に龍馬が江戸を去った後だったり、小五郎の名前が当時は使用していない「木戸準一」だったりするため、いずれも「偽書」というのが定説。山内家の日記などにも記録はなく、大会そのものが作り話とされています。