帰郷_安政に改元

安政元年十一月二十七日

竜馬は大坂天保山から海路土佐へ向かい、船泊まりをかさねてようやく浦戸湾に入った時には、四国山脈の朝もやが晴れようとしていた。一年八か月ぶりの帰郷である。
しかし想像していたよりも地震と津波の被害は大きく(材木屋と大工が儲けちょるじゃろ)

城に向かっていくうちにひどく安心した。やはり、城付近は地盤がかたいのだ。本町一丁目筋はどの家もビクともしていない。(なんじゃ、これでは帰らんでもよかったキニ)
門を入ると、植え込みで仕事をしていた源おんちゃんが「キャッ」と飛び出してきた。
「わしゃおらび(喚く)まする。町じゅうおらびあるきまする」

memo 安政元年

嘉永7年は、一月に米国のペリーが再来航して三月に遂に日米和親条約締結。四月には京で大火災、六月の伊賀上野地震につづきこの十一月に東海地震・南海地震と続いた。
朝廷は、災異が続いたため改元を決めたのだが、幕府側から、前将軍徳川家慶の月法要(毎月22日)の後にするなどの介入があった。
天皇側を敬うポーズをしながらも、政権側が主導権を主張するのは、今も昔も。

安政の大地震という名の南海トラフ地震は、改元前の嘉永の「寅の大変」からはじまっている。

坂本龍馬は、土佐藩から許されていた江戸修行期間が一年あまりであったので、龍馬は六月二十三日に土佐に帰郷している。
剣術修行の名目で江戸に出てきたが、早々に黒船騒ぎが始まり、沿岸警備に就いたり、西洋通の佐久間象山に入塾するなど、19歳から20歳の青年が様々な情報の刺激を一気に吸収する期間となったのです。