寅の大変

嘉永七年十一月十三日

土佐が壊滅したという。

江戸に伝わったのは、江戸立帰り飛脚という役目の足軽によってであった。竜馬は藩邸でこの報を聞いた。
勤番の藩士達が捕まえて
「お城はどうであったか」と口々に聞く。
「お城は、大筒蔵が二つ潰れ、瓦が多少落ちましたが、ご無事でございました」
「されば、お城下は?」
「地震もさることながら、津波の被害が大きく永国町などは一町内丸ごと海へ洗い流され上士のご家族も竹やぶで暮らす有様で」

竜馬はこの足軽を捕まえ「俺は本町の坂本の倅だが、俺の方はどうだ」
「軒並み家屋が倒壊しています。あの辺りなら、万に一つご無事ということはありますまい」
(おどかしやがる)

竜馬はその足で藩邸に帰国の届けを出し、旅装を整え桶町に戻った。
先生の定吉と重太郎に挨拶すると
「それぁすぐ帰ることだ。幸い無事であれば、長逗留せず江戸に戻ってもらいたい」
「藩にもそう届けてあります」

そのまま重太郎に品川まで送られ、駆けるように東海道を上った。

memo 安政南海地震(稲むらの火)

この時の津波に襲われた経験を元に言い伝えられた「稲むらの火」は濱口儀兵衛(梧陵)の『濱口梧陵手記』に記されている

稲むらの火
祭りをひかえた海沿いの村。
強くはないが、不気味な地震の揺れを感じたのは、高台に住む庄屋の五兵衛。
海を見たら、海水が沖に向かって引いていく。
今まさに浜辺にいる村人たちは、みな祭りの準備に夢中である。
「――津波が来る。」
そう直感した五兵衛は、収穫したばかりの稲むらに次々火をつけた。
稲むらが燃えているのに驚いた村人たちは、火を消しに高台の田んぼに駆け上がる。
その時、津波が村を襲い家々を飲み込んだが、村人たちはみな高台にいたので助かったのだった。
五兵衛が自分たちを助けるために、大切な稲を燃やしたことを知った村人たちは深く感謝し、このお話を語り継いだ。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治三陸地震津波の情報を聞き、「稲むらの火」の作品を作ったため、多少デティールが変わってているが、英語作品 “A Living God ” として世界発信しており、海外でも防災向け教材として用いられている。
内閣府資料より
安政南海地震の震度6以上の領域は、震源域の近くに位置する和歌山、徳島、高知、の各県に広がっているほか、京阪神地方や、岡山県広島県の沿岸部、更には、出雲地方に及んでいることに注目したい。(内閣府ホームページより抜粋)

下田あたりから、九州志布志エリアまで2m近くの津波が発生し、和歌山から四国エリアは、5〜6m、高知・土佐あたりには10mを越す大津波が発生した(地震学会ニュースレター・都司、1992b 南海地震より抜粋)