狐につままれる_憑き物

江戸時代の常識・風習

嘉永七年十月十五日

(しまった)夜明けになって竜馬はひどくのどが渇いて目が覚めた。
「おめざめになりました?」
「ワシとしたことがあれしきの酒で?」
「坂本さま。約束通り男女の道を教えてあげたことをおぼえてらっしゃる」
「えっ」(知らぬわい)

竜馬は桶町の千葉道場に戻った。(お冴め。狐のような女じゃ)井戸端ですっぱだかになり、つるべを手繰って水をかっぶった。
「どうした」うしろで重太郎が驚いている。さな子も庭向こうの離れ座敷からこちらをこちらを見ていた。
「わしがなんせんちゅうにみちをおしえたぞといいはるおんながあろうにあだうちまでしちょいうまったくえどちうまちは重さんばけもんのあつまりかえ」
「江戸の悪口はいいが、普通の江戸言葉でいってくれ」

「あまり武士として見上げたことでは無かったようだな。ひとつ今日は道場でさんざん痛めつけようか」「賛成」さな子は、手をたたいた。

そのとき縁側に貞吉がひっそりと腰を下ろした。
「今の竜馬に道場で打ちこらすそうだが、おまえにできるか」
「できますとも」
「三十本勝負。明日卯ノ下刻(7時)にするが良い。門弟をぜんぶ集めよ」

memo 憑き物

「狐にだまされる」とか、「狸が化ける」などと今でも使う引用文ですが、江戸時代には、どこまで真実だと思っていたのでしょうか?

八百万の神信仰のある日本では、不思議な出来事や偶然・自然の摂理も全て「〇〇様がなされたこと」と意味付けてきました。
時に悪い出来事も、人間の力では仕方のない悪者(お化けや、祟り、)のせいにしたのでしょう。

子供の水難を「河童が引きずり込んだ」として、目を離してしまった親が、恨みや諦めの対象を作り、少しでも悲しみの持って行き場を作ったのでしょう。
また子供への教育として、近づいてはいけない場所を教え込ませるため、恐怖の対象を作りセーフガードとしていました。

曖昧なことを科学的検証で実証してきた現在では、化け物や動物の化身は次々と否定されてきました。

しかしおとぎ話のような言い伝えの中にこそ、真実のメッセージがあるものです。