船宿_骨釣り

嘉永七年十月十四日

その日の夕刻藤兵衛のなじみらしい堀江町の船宿で酒を飲んでいた。
鍛冶町の藩邸をでて千葉道場に戻る途中に船宿の者に呼び止められ、ちょき船に乗って連れてこられた。
家並みに灯がともる頃、やっとふすまが開いた
「藤兵衛か」
「冴でございます」
「………」(藤兵衛め、みえすいたことをして)

この夕は竜馬の世間見物のようなものだ。
江戸の船宿は違う。ひどく、粋なのだ。
芸者を連れて川遊びをする者の支度宿で、深川芸者などとこの種の宿で落ちあって寝る。
お冴は、諸事先生役であった。
「遊びは、やはり江戸でございますよ」
「そんなものか。土佐の高知には、二十四万石のお城下でありながら、色里という物がない」
「まあ、それでは血気が多い若者は、どのようにして血をお鎮めになさるのですか」
「浜辺でむやみと角力をとったり、剣術をしたり。とりわけ土佐は角力の好きな国だ」
「なんとあいらしい。江戸のお旗本集は、左様な無粋はなさいません」
「土佐は無粋ものか」
「無粋の第一は薩摩さま」
「第二は土佐か」
「ほほ、土佐の長刀と申すほどでございますもの。それより、坂本さまとのお約束」
「なんのことだ」そのうち、十五日の月が出た。

竜馬はしたたかに酔った。杯を置いて
「過ごした。戻る」

※冴は、藤兵衛に頓服(眠り薬)を預かっていた

memo 船宿

江戸時代のレジャーとして船あそびはメジャーなもので、それを手配するのが船宿と呼ばれました。
江戸も大坂も水路が充実していて、遠出のお参りや急ぎの用事などに気楽に使っている様子が、落語や時代劇テレビでも出てきます。今でいうタクシーのようなもので、お金がかかるけど気軽に乗れるものだったのでしょう。
江戸の名物の花火や、お花見などで繰り出す屋形船も船宿が手配します。

出払っている船の帰りを待ってもらうために待合部屋を用意していたのですが、船を待つ名目で男女が使う出会茶屋の代わりに貸し出すことも。(今でいうラブホテル・レジャーホテル・カップルズホテルの使い方ですね)

骨釣り・野ざらし(落語)

骨釣り
若旦那ら一行が屋形船に乗りこみ、今日は魚釣りをして楽しもうという趣向。太鼓持ちのシゲハチが祝儀目当てに竿を出すと骸骨を釣ってしまう。無下に捨ててしまうのはかわいそうと若旦那で供養代をもらい寺で手厚く供養してもらう。
その夜、シゲハチが寝ていると若く美人の幽霊が現れる。聞くと昼の骸骨がお礼にきましたと。
翌朝、隣の喜六が「どこの女を連れ込んでいたんだ」と聞くと実は骸骨のなれの果てだというので、自分も骸骨を釣って幽霊に来てもらおうと骨釣りに出かける。なんとか骸骨を見つけ寺で供養してもらいその夜を待つ喜六。
しかしやってきたのは大男。大泥棒・石川五右衛門の幽霊が供養の礼を言いにきたのだ。「それでカマ割にきたんか!」
<石川五右衛門=釜で死刑に 男色=カマを割る>

野ざらし
ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の女嫌いで知られた浪人・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
翌朝八五郎が事の真相をただすと「あれは、この世のものではない。向島(隅田川)で魚釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべ(=頭蓋骨)を見つけ、哀れに思ってねんごろに供養したところ幽霊がお礼に来てくれた」と語る。
それを聞いた八五郎は「あんな美人が来てくれるなら幽霊だってかまわねえ」と叫び、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かった。
竿では全く釣れないのでとうとう葦の原をかき分け、やっと見つけた骸骨を供養して家に戻る。酒を用意して陽気に幽霊を待っていると、表を通りかかった太鼓持ちが宴会かと思い八五郎の家を訪ねる。入り込んできたのが太鼓持ちだとわかると八五郎が「あぁ、あれは馬の骨だったのか」
<太鼓持ち=素性のあやしいやつ=馬の骨>