コオロギの声_落籍

幕末の女性

暑い夏が過ぎて、路地のあちこちでコオロギの声を聞くようになった頃、久しぶりに寝待ちの藤兵衛が道場にたずねてきた。
竜馬は重太郎の部屋を借りた。お冴の仇討ち以来である

「少し遠くに出かけていました」
「西国にいっていたのか」
「いいえ、出羽から会津のほうへいっていて、会津若松のお城下で信夫左馬之助を見かけましたよ」

竜馬は驚いた。例のお冴のかたきである。
「何をしている」
「中間、小者、百姓、町人、やくざ者を集めて剣術道場をひらいてやがるんで。なんせやつの無眼流なんて当節は流行らず、かえってそうゆう者たち向けのほうが収入がいいらしい」
「江戸でもそうだ」
黒船騒ぎ以来、武士、浪人、庶民を問わず剣術を習う者がにわかにふえ、江戸では町道場が月に何軒ずつの勢いで増えている。
「そういえば、お冴の仇討ちにまだかかわっているのか」
「乗りかけた船ですから。黒船騒ぎの後、落籍(ひか)しましたよ。」
「驚いた。妾にしたのか」
「ちがいますよ」

memo 女郎の身請け・落籍

遊女たちの多くは農村などお金の無い家庭から廓に売られてくる者がほとんど。売られてきた時の身代金はそのまま遊女たちの借金となり、また借金の利子かなり高額でどれだけ働いても借金が減らない仕組みで、どれだけ人気な花魁で売れていても、年季が明ける前に借金を返し終わることはないとされていました。

そこで、お客さんである男性が気に入った遊女を指名して仕事を辞めさせることを『ひく(落籍)・身請け』と言いました。

身請けをするにはまず、店の楼主に遊女の身請けをしたいということを相談します。そして許しを得たお客さんは、借金を含めた遊女の身請け金を払います。江戸時代の花魁は一晩のお値段がかなりの高額で、年季前の身請けは難しいとされておりました。
なので、身請けをするのは大商人やお金持ちだったとされています。花魁はその後お金を払ってくれた男性の愛人となるのがほとんどでした。

吉原の売れっ子花魁は、一晩で15両は必要。なので身請けには一千両は必要だったと言われます。吉原以外の遊女でも50両、今の金額で200万円ぐらいは必要だったとのこと。