厄払い

江戸落語の世界(芸能・娯楽)
門つけ芸人

嘉永七年六月十日

黒船どもは六月一日に下田を去っていったが、騒ぎがおさまったわけでは無い。
攘夷論がやかましくなった。武士のあいだで幕府批判が流行っていたのだ。
江戸庶民もかれらなりに落ち着きを失っていた。「地震」の噂である。
竜馬が江戸にきた頃にはそんなものはあまり多くいなかったが、近ごろ市中で門付け芸人が多くなったのである。

ワイワイ天王は、汚れた黒紋付、白袴をはき、猿田彦面を付けて「ワイワイ大王騒ぐのお好き」とはやして家々から一文ずつもらう。子供が追いかけると縁起物の牛頭天王のお札をまく
スタスタ坊主は陽気なもので、青竹の先に刺し銭を振り回し、変な呪文を唱えながら家々の無事息災を祈る。

竜馬は相変わらず剣術に没頭していた。

画:陽気な乞食」の一団より

memo 厄払い

門付(かどづけ)は、日本の大道芸の一種で、門口に立ち行い金品を受け取る形式の芸能の総称で、およびそれを行う者の総称。

門付けで「あーらめでたいなめでたいな」で始まり、縁起のいい七五調の祝詞を並べる事が多かったそう。

歌舞伎で、黙阿弥の世話狂言「三人吉三」第二幕
大川端の場の「厄落し」のセリフは有名です。

月もおぼろに白魚の かがりも霞む春の空
冷てえ風もほろ酔いに 心持よくうかうかと
浮かれがらすのただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
棹の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手に入る百両

落語ネタにある「厄払い」は、与太郎が叔父に勧められ大晦日に家々をまわり目出度い言葉をはやして、小遣いを稼いで来いという。でも長台詞なので、うまくいかなくて・・というが、1〜2回の口伝でこんな長いセリフは与太郎じゃなくてもむづかしいよ〜。

「黒門町」八代目桂文楽や、上方の桂米朝で音源が残っています。

あーらめでたいなめでたいな、
今晩今宵のご祝儀に、めでたきことにて払おうなら、
まず一夜明ければ元朝の、門(かど)に松竹、注連(しめ)飾り、
床に橙鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、
鶴は千年、亀は万年、東方朔(とうぼうさく)は八千歳、浦島太郎は三千年、
三浦の大助百六ツ、この三長年が集まりて、
酒盛りをいたす折からに、悪魔外道が飛んで出で、
妨げなさんとするところ、この厄払いがかいつかみ、
西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、
須弥山(すみせん)の方へ、さらありさらり