宮田村の長州陣屋_長州藩6

嘉永七年三月二十一日 宮田村

三日後の夜、宮田村の長州陣屋についた。

「島田さん、年頭じゃし。長州の益田ちゅう家老はご存知じゃろ」
「竜さんは無邪気じゃのう。八右衛門さんにでも直答できぬわしら軽格侍が、よその藩の一ノ家老を知るもんかい。」
「なるほど。」
益田越中は龍馬より二つ上で、まだ二十二歳だという。

龍馬ら10人は、その夜、長州陣屋のある寺院で、益田越中に会った。なるほど若い。

益「みな土佐の武士らしくたくましい。こちらも油断できぬ」
島「いや、御尊家は、毛利元就公以来の武勇のお家でござれば」
益「それが困ったことに、一番の腕達者が出向いております。今宵か明朝に帰陣すればよし、せねば容易ならぬ試合になる」
島「それはどなたでございまする」
益「桂小五郎、と申す男でしてな」
島「ああ、斎藤弥九郎先生の練兵館塾頭の」

竜馬は知らない。

memo 長州藩 高杉晋作の好物

高杉晋作は手紙や日記に食べ物について、まして感想などは、ほとんど記していない。
ただ、後年マサ夫人が山口県出身のジャーナリスト横山健堂に語った思い出の中で、晋作の好物に言及する。
「未亡人の話に拠れば、彼は、衣食住に対して頗る淡泊であった。唯だ食物で、好物といへば、『鯛のあら煮』及び長州鮨則ち鯛の白身ばかりを以て推す鮨である」(横山健堂『高杉晋作』大正五年)
この、鯛のあら煮というのは、塩だけで味付ける鯛の潮汁のことかもしれない。
妻にも愛人にも料理させたというのだから、晋作はよほど鯛のあら煮(潮汁)が好きだったのだろう。

マサ夫人が語る、もうひとつの晋作の好物は、鯛の白身で作るという押し鮨「長州鮨」だ。ところが「長州鮨」などといった名称は、聞いたことがない。いろいろと調べてみたが、よく分からなかった。「長州鮨」はあるいは、明治になって上京した高杉家特有の呼び方だったのかも知れない。

萩市観光ガイドHPより抜粋
http://hagishi.com/ishinshi/010.html