ご家老 山田八右衛門_長州藩4

嘉永七年三月十八日

ある日、道場にいた竜馬は、組頭の深尾甚内に呼ばれ、
「ご家老がお前を連れてこいとおおせる。すぐ仕度せい」と命じた。
恐縮すべき所だが、(竜馬は)この男のくせで、ただだまってにこにこ笑っている。
「そそうがあってはならぬぞ」

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山田八右衛門は先祖伝来の黒革の具足に陣羽織をはおり、古道具屋の五月人形のような格好をしていた。
「坂本竜馬ちゅうのは、おまんのことかい」
「はい」にこにこ頭をあげて具足を見ている竜馬にいらいらして「頭が高い」と叱りつけ、首の根を押さえつけようとした。
竜馬はめずらしく、眼をかっと見開き「うるさい」とどなりつけた。
「失礼つかまつった。痰でござる」
まわりの上士たちは色めきだった。
「まあ待て、しずまれ。」

家老山田八右衛門が竜馬に命じた用というのは、相州沿岸に警備陣を引いている長州藩陣地を探索してこい、というのである。

memo 長州藩の成立ち4 航海遠略策

幕府に近づけない以上、長州藩は、パイプのある朝廷との関係を密にして、傾倒するようになっていく。

多くの長州藩士が京に向かい、国政に関与したことがない若い公家を取り込み後ろ盾にすることで、幕府との相対関係を保つことになる。

幕府が弱ってきた文久元年(1861年頃)に、穏健派の長井雅楽が公武合体論と親和性の高い航海遠略策を引っ提げて朝廷に接近する。

航海遠略策
積極的に広く世界に通商航海して国力を養成し、その上で諸外国と対抗していこうとする「大攘夷」思想に通じる考えで、その精神自体は後の明治維新の富国強兵・殖産興業などにも影響を与えたとも言えるが、この時点においては実行手段の具体性に欠けるため、挫折することになる。