クルミア戦争開戦

memo クルミア戦争

新興国アメリカが、ペリー提督を派遣して日本に対して砲艦外交を展開できたのは、クルミア戦争勃発で、欧州列強の関心が日本を含めた東アジア地域にまで及ばなかったことも理由の一つである。

1853年10月から、フランス、オスマン帝国及びイギリスを中心とした「同盟軍及びサルデーニャ」と、ロシアとの戦い。その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまで及んだ、近代史上稀にみる大規模な戦争であった。

この戦争により後進性が露呈したロシアでは抜本的な内政改革を余儀なくされ、外交で手腕を発揮できなかったオーストリアも急速に国際的地位を失う一方、国を挙げてイタリア統一戦争への下地を整えたサルデーニャや、戦中に工業化を推進させたプロイセンがヨーロッパ社会に影響力を持つようになった。また北欧の政治にも影響を与え、英仏艦隊によるバルト海侵攻に至った。この戦争によってイギリスとフランスの国際的な発言力が強まりその影響は、その後中国や日本にまで波及した。